文章練習

思いつくままキーボードでカタカタ

神経質な性質をなんとかしたい

数日ぶりのカタカタタイムである。

ちょっと書く気分にならなかった。インプットの時間もあったし、考えがまとまらないので書けなかった。

何日かの間に考えていたことを小出しに書いてみたい。

インプットといえば、マイケル・サンデル教授の新刊を読んでいる。邦題は「実力も運のうち 能力主義は正義か?」である。

本の内容は、タイトルからも判断できるように、能力主義の不平等について説明し思想を展開している。

俺が以前よりブログや一部の人に主張している「努力の信者」について言及している。さらっと読んで「大体わかった」では勿体ない。じっくりとよんで血肉にしていきたい。元々興味のあるテーマである。染み込むように頭に入ってくるが、サンデル教授は政治哲学が専門なので扱っている内容が大きすぎると個人的には思った。

 

神経質な性質をなんとかしたい

俺は非常に神経質である。文章に頻出する単語から性質を判断するAIがあると聞いたことがある。仮に自覚がなくとも、それで測ればおのずと判明するであろう。

素人判断になるが、おそらくHSPでもある。ネット診断によれば、間違いなくHSPとのことである。実際にそうかどうかというより、その疑いがあって、実際に悩んでいるのが問題なのである。

疲れやすく、つねに鬱である。極端に睡眠時間が長い場合もあるし、短い場合もある。

精神的に安定しているように見えるが、気力が湧きたたずに命を長らえているだけのような毎日なのである。しかも時折イヤな考えが頭を支配し、何も手につかなくなる。しばらく時間がたって脳ミソ回路の線路が切り替わるとネガティブな妄想から逃れることができるのである。

 

これから書くことは、社会心理学を修めている人からすれば間違いであったり、当たり前のことなのかもしれない。俺はまったく無知なので、自身の考えをそのまま書くだけだ。

スピリチュアルや自己啓発に近いいかがわしさもある内容だが、自己救済の目的で考えたうえでの結論である。もちろん間違いに気がついた時点で、正しい考えにアップデートし改めるつもりである。

主旨は、神経質な人間は認知の偏りを自覚しメタ認知することで、いい塩梅に細かさを手放すことで僅かでもタフになれるのではないか、ということである。

 

ありとあらゆる認知には偏りがある。それを正すことは人間には不可能だと看破する。

この意見は論理的には矛盾している。看破したと認知した時点で偏りがあるからである。

だから論理ではなく、心で理解して欲しい。

つまり、なんにしても取っ掛かりとして決めつけるしかないということである。絶対に揺るぐことのない足場を積み上げて、すべてに共通して破綻の無い理論を生み出すのが理想だが、実際には正しいと仮定して強引に当てはめて証明するしかない問題もあるということである。

 

自分には偏見がないと考えず、偏見があると自覚することから、すべてが始まる

認知には歪みがある。どれほど自分が素直であったとしてもである。疑い深い人間に、「ひねくれた物の見方をしてますね」と指摘をしても受け入れないという話ではなく、正しい量と方向を知るのは人間には不可能だという話である。

 

これをわかりやすく説明する。

あなたは今、RPGゲームの世界にいると仮定しよう。

ステータス画面を開くと、HPやつよさなどのパラメーターから、具体的で正確な能力値を把握できるだろう。だから味方や敵のパラメーターと比較すれば、自身が相対的に優れているかどうかが判断できる。

しかし、現実世界では、人間の能力を数値で具体的に知るのは不可能である。

もちろん、屈強な肉体だからあいつは強そうだ、とか、学力テストで常にトップだから彼女は頭が良さそうだ、などと判断はできる。しかし、試合結果や試験の点数は数値としては目安にはなるが、すべてを決定づけるほどの重要さをもたない。

試合で弱い相手と当たったからたまたま勝っただけで、つまり運が良かっただけかもしれない。試験結果が悪かったのは、たまたま体調がすぐれなかったからかもしれない。

運や環境の要素なしに結果だけで能力を測れるほど人間は単純ではない。しかし、それで判断するしかないから、そうしているだけである。

能力が優れているかどうかは比較して判断できると考えるだろうが、自分と比べるときには多めに見積もったり低く見積もったりするものである。それが認知の偏りである。

 

ここまで1700文字 約1時間半

時間オーバーのため、ここで終了だが、まだ書くべきことは山ほどある。

書くのは億劫だが、話すよりもいい。しかも書き始めると、どれだけでも書いていたい。時間を忘れるほどである。書き始めるまでが辛いのである。筆が乗るというかリズムが出来上がるとバシバシとキーボードを叩き続けても飽きない。ブラックコーヒーの量が増え、尿が近くなるのとお腹の調子が悪くなるくらいしか影響はない。

ところで俺は論ずるのが苦手だと気がついた。分析的ではないからである。

いっけん論理的に見えるが、ただ単に理屈っぽい話し方をするだけで実のところは論理的ではない。数学や論理学は苦手である。

むしろ物語るほうが向いているのではないか。やったことがないので自分でも分からないのだが。

この点についても、なぜそう考えたのか書きたいと思っている。