文章練習

思いつくままキーボードでカタカタ

主に聞き手側に回る立場からの本音を話そう

さて本日もカタカタの時間である。

つくづく思うことがある。

誰しも、自分の話を聞いて欲しくて仕方がないのだなぁ、ということである。

聞いてくれるなら延々と話し続けたい。自分の考えや身に起こったことを聞いて欲しくてたまらない。

だから傾聴してくれる人を欲している。

邪魔が入らず自分語りするのは、多くの人にとって快感である。もしかしたら、脳みそから麻薬に近いものが分泌されているのかもしれない。

聞き手が黙して聞く姿勢であって、ときどき頷き同意してくれて、肝心なところで響く返答があれば尚更である。

これから書くのは、主に聞き手側に回る立場からの本音である。

とくに真剣な悩みや悲しい話をよく聞いてもらっている人は要チェックである。

 

当事者にとっては真剣な話であっても、部外者から見たらどうでもいい話なことが多い。じつは真剣に聞いているようで、聞き手はそれほど本気で考えていないのである。

あるいは、頑張っているのに結果がでないといった話は、場合によっては喜劇のようだと思っている。

真剣に問題と対峙しているのに、歯車が噛み合っていない姿が滑稽に映るのである。

話し手のあらゆる部分に注目し想像するのである。

話す姿からも想像できるし、断片的な情報からも推量できる部分がある。

足りないピースを脳内で補完しながら、その状況を考えてみるのである。

主観的な真実と客観的事実の乖離が面白いのである。わかりやすく言えば、どれだけ話を盛っているか、実のところと本人の認識がどれほどズレているかのギャップを楽しむのである。

見栄っ張りは、話していてすぐに判る。チクチクと自慢するからである。

あからさまに自慢はしないのが彼らのプライドのようである。しかし、口(くち)プロレスが大好きなのである。

聞き手に敬意を払っているかのような口ぶりであるものの、知識自慢といったらよいのか自分の得意な分野について語り出すと止まらないのである。自分の知らない分野になると話題を強引にでも変えて話し続けるのである。

よくもまあ、こんなにしゃべっていて口が疲れないなと呆れるほど話し続けるのである。

相談めいた自分語りもある。いかに周囲が酷くて自分が不当な扱いを受けているかをのべつ幕無し語り続けるのである。で相談は?と促さないと、いつまでたっても本題に進まないくらいに自分の不幸について延々と話が続くのである。

客観的に判断して「こうしたほうがいい」という結論があっても、その通りに行動しないのが人間の性である。なので意見を求められない限り発言しないほうがいい場合が多い。忠告をしたのに無視されたようで気分が悪くなるからである。

老婆心ながら忠告することもあるが、たいていは聞き入れられない。以前は軽く見られているのだと落ち込んだものだが、最近はどうでもよくなった。

忠告だけはした。あとは知らん。そんなスタンスである。

共感だけして欲しい。アドバイスはいらない。ネットではそういう意見が多い。それならお望み通りに傾聴だけしよう。

しかし、こちらも人間である。

話がよほど面白くないと飽きてくるし、正直疲れるのである。

本当に精神的に参っていて話を聞いて欲しいなら、職業として専門的な傾聴技術をもった医師にした方が良い。

こちらはカウンセラーではないから、話を聞きながら自分なりのフィルターを通して面白おかしく脳内変換している。黙って聞いているし共感もするが、すべての意見に同意しているわけでも、話しを全て信じているわけでもないのである。

話をじっくり聞いてくれるあの人の優しい顔は表側であって、神妙な面持ちの裏では話し手であるあなたのことを笑っているかもしれないのである。

二面性こそが人間なのである。

 

1400文字 40分程度所要

ざっと書いて終わり。しばらくは忙しくなるのでブログに時間を割けなくなった。

書くのは続ける。