「死の罠の地下迷宮」からの生還
このブログは去る五月1日にファングで行われた「迷宮探検競技」、いわゆる「決死行」から生還した冒険者の手記である。
非常に危険な冒険だった。私は数えきれないほどの転生の果てに、罠と裏切りに満ちた迷宮から脱出した。得た知見をここに記す。後に続く者たちの参考になれば幸いである。
※以下ネタバレなので、未プレイの方は気をつけて読んでいただければ幸いである。
・迷宮について
迷宮という名前がついているものの、ほぼ一本道で進む。引き返すことは許されていない。迷宮のところどころに分岐があり、途中から合流してまた分岐する。なので、どのルートで来ても必ず通る場所がある。最終ルートは三つに分岐する。正しいルートは一つだけである。ではどの道をゆくか。足跡や警告文など、些細なヒントを頼りにするしかないのだ。どちらか迷ったら、敢えて危険そうな行為を選択するのをお勧めする。もし次のチャンスがあるのなら、失敗は大きな糧となる。
そして、なんとか生き延びて出口に続く扉の前に来れたとしても、最終試練が待ち受けている。最後の扉を開くためには迷宮の各所に点在している宝石が必要なのだ。それらの宝石のうち本当に必要なものは三個だけで、残りの宝石はダミーである。
宝石以外にもクリアするうえで欠かせないアイテムがある。正しいルートで正しい行動を取らない限り、全てのアイテムを入手することは不可能である。ノーリスクで入手できるアイテムや情報はあるが、重要なアイテムや情報はトレードオフの関係にある。手に入れるには何らかの代償を支払う必要があるのだ。
また、ライバルの妨害にも気をつけるのだ。この競技の勝者は一人だけだということを思い出して欲しい。
果たして君は、サカムビット(作者)との知恵くらべに勝つことができるだろうか。
・戦闘について
理論上は八回の戦闘で最後の試練まで辿り着くことはできる。しかしそれは相当運に恵まれていない限り難しいだろう。たいていは九回ないし十回は戦闘することになる。さらに運が悪ければ不利な状況で強敵と戦わなくてはならないので、そうなると生き延びるのは難しいだろう。
途中でライバルと少しの期間だけ共闘する機会が訪れるが、残念ながらいずれ彼とは戦う運命にある。必ず戦わなくてはならない手強い敵は、蛮人と黒装束の挑戦者とブラッドビーストとマンティコアである。ある地点でいかにも凶暴そうな爬虫類が扉を守っている。こいつは技術点が12、体力点が15点と非常に強く、まともに戦闘をしたら生き延びるのは難しいだろう。とはいえ、必要なアイテムを持っていて、かつ運に恵まれたら戦闘そのものを回避できるので、それまでは運試しのダイスは控えるか、幸運のポーションをとっておくのが得策だ。また、その敵との戦闘を回避するのに必要なアイテムを入手するさいに技術点を一点差し引くことになる。その場合、かりに君の技術点が最高の12だったとしても、ラスボスとは11点で戦わなければならない。ブラッドビーストは技術点が12点だが、弱点を知っていれば二回勝てば逃げられる。マンティコアの技術点は11点なので互角の戦いだ。こいつは体力も11と高い上に、凶悪にも最高12点のダメージを与える針で先制攻撃してくるのだ。針を回避するためにも盾はあったほうがいいし、スケルトン・ウォリアーの握りしめている羊皮紙の情報を読んでおくべきだろう。
全体的に強敵が多いので、技術点は最低でも10は欲しい。できれば11点。キャラクター作成時に技術点と運点はサイコロの目を2なら4に読み替えるなど臨機応変にルールを変更しても良いのではないだろうか。能力値が低すぎると先に進めず面白くない。かといって強すぎても面白くない。その辺りのバランスを各自探ってみてほしい。
・入手できる宝石
宝石を全て揃えるのは不可能だ。正しいルートを歩むことができれば、必要な宝石を過不足なく揃えることができる。何が必要な宝石かは、ぜひ君が探り当てて欲しい。
- エメラルド 像の左目に嵌っている
- オパール ウジ虫の中に刺さっている短剣にオパールが埋め込まれている
- ルビー 穴に落ちると手にしている
- トパーズ 頭蓋骨の眼窩に埋め込まれている
- サファイア 1mほどの鉄の管の中にある木箱の中に入っている
- パール どこかの部屋の小箱の中に入っている
- ガーネット メデューサを倒すと手に入る
- ダイヤモンド 誰かが持っている
・挑戦者たち
「決死行」に挑戦する命知らずは全部で六人。もちろん一人は君だ。残りの五人について語っておこう。
蛮人が二人いる。一人は豪快だが呪いの類を恐れる自分をスロムと呼ぶ男だ。しばしの間、この恐れを知らぬ戦士と共闘関係になる。くじ引きの順番は最後だったはずだが、いつの間にか抜かれていた。せっかちな彼のことだから、ほとんど寄り道をせずに先へ先へと向かったのだろう、オークの死体を発見した先の分岐で合流することになる。いち早くトロールの接近に気が付き、先制攻撃をするあたり戦士として優秀だ。彼と同時に試験監督の部屋に入りさえしなければと悔やまれてならない。
もう一人は、矢印の方向に逆らって初めの分岐を東に行った男だ。そのルートを選ぶあたり勘が鋭いのだろうが、残念ながら彼にはクレバーさが足りなかった。早くも迷宮の殺人的な罠の餌食となる。あわれな戦士の携えていた干し肉はスパイシーな香辛料で味付けされていて美味かったのを覚えている。スロムは同胞の死を知っていたのだろうか。
もう一人はエルフの女だ。両手持ちで操るのだろう。二本の短剣が納まる鞘を括ったベルトを胸に十文字にぶら下げている。非常に残念だが、この女戦士は迷宮のどこかで大蛇に襲われ息絶えることになる。彼女の所持する薬草は瞬く間に傷を癒す。形見の短剣やお守りが君の窮地を救ってくれることもあるだろう。
そして羽飾りのついた兜と紋章入りの盾を携え、全身鎧(フルプレートアーマー)を装備した騎士風の男である。彼は志半ば、実力を発揮する前に迷宮で力尽きてしまった。
最後に紹介するのは黒装束の男だ。頭巾を深く被り、その表情を伺い知ることはできない。暗殺に使うであろう様々な道具をベルトにぶらさげていた。かなりの使い手であり、迷宮深くまで辿り着いた猛者中の猛者である。いきなり後ろから手裏剣を投げてくるので運が良くなければ戦う前に大怪我をしてしまうだろう。黒装束の正体は技術点11、体力点が9の忍者である。陰険にもロープに切れ目を入れたり、背負い袋の中に毒蜘蛛を仕掛けたのはおそらく奴だろう。携えていた米の飯は初めて食ったが美味かった。軟膏もなかなか効果があった。奴の道具はどれも独特で見たことのないものばかりで、使い熟すには相当の訓練を要するだろうと思われた。その中で一つだけ目を引く武器があった。鋭く研ぎ澄まされた片刃の長剣である。何度も折り返して鍛えられたのだろう、細いがずっしりとしている。にもかかわらずバランスが良いから重くない。ちなみにこの名品を手に入れるための代償はあまりにもハードだ。
・試験監督たち
「迷宮探検競技」には、迷宮を攻略できる可能性のある者だけを残すために競技監督がいる。攻略するに値しないと見做されると召使として働かされるのである。脱落者は召使になるか殺されるか選ばされるのだ。召使になれば命こそ助けられるが迷宮の秘密を守るために外出は許されない。監督は二人いる。一人は意地の悪いドワーフである。数々の厳しい試練を乗り越えた者だけが先に進めると言い放ち、あまりにも辛すぎる戦いを仕掛けたのだ。事が済んだあと、やっとの思いで湧き上がる殺意を抑えた。
もう一人はイグバットと名乗るノームだ。最後の試験監督である。後にわかったのだが、試験監督もサカムビットの犠牲者だったのだ。あれほどの権力を持ちながらも迷宮から出ることができず、一年に一度だけ訪れる脱走の機会を楽しみに待っていたのである。
・召使たち
迷宮で不覚をとって監督に命を救われた挑戦者は召使となる運命にある。そして迷宮から逃げ出そうとしても捕まってしまい、二度とそんな気を起こさないよう手下のオーク共に手荒なやりかたで教育される。粗末な食事でこき使われ、命が尽きてゆく。彼らに出会ったら親切にしてやろう。きっといいことがある。
・迷宮探索のアドバイス
真の道は一つ。最も危険で長い道である。その道に辿り着けたのであれば、必要なアイテムを少なくとも一つは手にしているはずだ。そしてもう一つも危険な相手との戦闘に勝てれば手に入れられる。もう一つのアイテムは前半の誰もが見覚えのある場所にある。
ロープは非常に役に立つので必ず入手する。そして盾を失わないように気をつける。本の類は必ず目を通したほうがいい。何かを手に入れたなら欲張らずにその場を離れたほうがいい場合が多い。迷宮に張り出されている指示に従うと危険だ。
最後に。宝石はただ揃えればいいわけではない。組み込む正しい順番があるのだ。六つの組み合わせの選択肢がある。全て間違っているか、一つだけ正しいかをノームは教えてくれるが、当然どれが合っているかは教えてくれない。だから、むしろ全て間違っているときのほうが特定できる。残り二つの組み合わせに絞れるからだ。奴の言葉に惑わされてはならない。
一つだけヒントを与えよう。正しい組み合わせは入手した順番ではない。
最後になるが、私の記録した地図を添付する。君の冒険の参考にして欲しい。あえて宝の位置は記さずにおく。
この危険な迷宮に挑む君の体力点が尽きませんように。


地獄の館にようこそ
地獄の館へようこそ。
といっても地獄の館が実在するわけではなく、そういう名前のゲームブックがあるのだ。ゲームブックというのを説明するのはめんどいので、知らない人は調べて欲しい。
リメイク版をプレイしてみた感想と考察の覚え書きを残しておく。いわば忘備録である。文庫で遊んだのは40年ちかく前なので、内容はほとんど覚えていない。ただ、間違いなく面白かったという感情だけは覚えていた。だから新鮮な気持ちでプレイできたのは幸いだった。声を大にして言おう。これは噛めば噛むほど味わいの深い名作である。
クリアしてみてからの感想など、ネタバレを含む内容なので、未プレイのかたは気をつけて読み進めて欲しい。
以下、思いつくまま順不同で書き連ねる。
・攻略について


上の図は自作マップだ。殴り書きはプレイの覚え書きである。このような資料が冒険を助けてくれる。
攻略するうえで、必ず行わなければクリアできないことを列挙する。
- 二階の窓にあるメッセージを読む
- グレートデン二匹と戦闘して勝ち、モルダナから秘密の部屋についての情報を聴きだす。
- 地下階段の下にある秘密の部屋を発見する。これはモルダナの情報がなければ絶対に辿り着けない場所である
- 合言葉を使って、小部屋に置いてあるクリス・ナイフを入手する
- 接客室にある金の鍵を入手する
- 鏡をぬけた部屋の隣にある部屋の扉を金の鍵で開け、鋳鉄の鍵を入手する
- 鋳鉄の鍵で食堂に入り、フランクリンズを呼ぶ
- フランクリンズを攻撃する
つぎに、推奨する行動を記述する。ノーリスクでメリットのある行動だ。
- アザツェルの部屋で黄色い薬を飲む(次回の戦闘で二回までは傷を負わない)
- 物置で肉切りナイフを入手する
- アバットンの隣の部屋で夜食をとり、体力を回復したらすぐに退室する
- シーコウと話すなら、客間でブランデーを詰めて持ち歩く
・謎と欺瞞に満ちた館
このゲームは非常にいやらしい構成となっている。必ず死ぬルートでも、けっこう長く付き合わされる。もしかしたら別の選択をすると助かったのかもと考えてしまうのである。そもそも難易度が高く、まず間違いなく一発で攻略することは不可能に等しい。正解はほぼ一つのルートのみ。一つでも選択を誤ればゲームオーバーなのだ。マッピングしながら詰みルートを探るしかない。この詰みルートの経験を積み重ねることで、メタ知識を得るわけだ。俺の考えとして、フラグ立てを省略することは不可である。プレイヤーが知識としては知っていても、キャラクターが入手していないデータを使うのは許されない。具体的にいえば、モルダナ婆さんの情報だ。これだけは実際に会って情報を引き出していないのに、秘密の部屋の位置を知っているはずがないと判断できるからである。それと鋳鉄のカギの番号だ。鍵をゲットしていないのに、以前のプレイで入手して番号を知っているからと、所持していることにしてはならない。
・最も重要なのはモルダナ婆さんの情報と、はげあたまの男の情報
秘密の部屋の情報は必須だが、他にも貴重な情報を与えてくれる。とくに儀式には近づかないほうがいいというアドバイスは重要だ。これは儀式を目撃するルートにいくと詰みますよ、という作者からのメッセージと捉えていい。白い衣の男が捕らえられていて、いまでは薄汚れて灰色になっているというのは、いかにも正しいような気がするが、事情が明らかになるとミスリードだと判る。
はげあたまの男の情報は、食堂に入るための大きなヒントとなっている。鍵についての情報は彼以外からは得られないはず。灰色の衣を着ている点でピンとこなくてはならない。灰色の衣の男が誰だかわからなくなるように、作者が意図的に情報を操作している。情報の重要さから察するに、こいつが本命の灰色の衣の男かもしれぬ。シーコウのもつ貴重な情報については、メタ知識としても良いと思う。
プレイに行き詰ると情報が欲しくて色々と試すようになる。たとえば拷問部屋のテストで高得点を上げると、ものすごい情報が手に入るような気がして頑張る。それこそが罠なのだ。合格したところで生きて部屋を出られるだけなのだ。成績が良かったとしても一階までの道を教えてくれるだけ。ただ館の知識だけが積み重なっていく。ちなみにテストではアドベンチャーシートをカンニングしてしまった。
・灰色の衣の男の謎
灰色の男は、それらしいのが3人でてくる。白髪の男と、はげあたまの男と、白い衣の男である。貴重なのは、はげあたまの男の情報である。特別ルールとして、はげあたまの男と必ず会わないとクリアできないことにしてもいいと思う。そのくらい貴重だ。ぎゃくに他の二人はリスクを考えると一度情報を得たらOKでいいのではないだろうか。食料貯蔵庫前の部屋にいる白い衣の男と会うと、仲間になると見せかけて直後の戦闘で悪魔崇拝者に殺されてしまうのだ。しかも食料貯蔵庫に行くのは必ず死んでしまう詰みルートである。じつに意地が悪いゲーム設計だ。
・マッピングについて
このゲームではマッピングが必須だ。知り得た情報を次回の冒険に活かすためにである。冒険を重ねるほど、この狂った館の全貌が明らかになるように作られている。二階は納得できるマップが完成できるのだが、一階やとくに地下は難しい。訳者が言うように、正確さよりも部屋と部屋のつながりに留意すべきだろう。一階の玄関の向かって左側のドアはロックがかかって開かないが、ここはおそらく応接室だろう。通常のルートでまずフランクリンズに案内された、気味の悪い絵画が並んでいた部屋だ。そのあと、ケルナーに客間に誘われ暖炉で服を乾かしながら話をして、食事の支度ができると食堂に移動する。にもかかわらず、次に訪れたときは初めてきたような描写なのである。その理由は、おそらく台所で男に不意打ちされて囚われの身になるルートがあるからだろう。この場合、ケルナー卿と会うことすらないので、後述する吸血鬼=ケルナー卿だとするとルートによっては矛盾が生じてしまう。あと考えられる理由は、作者の遊び心だろう。
地下の儀式を行っている部屋や更衣室は、真面目にマッピングすると記録できない。地下のグレートデンが居る部屋は、おそらく客間から落ちてきたルートにある、ロックされて唸り声の聴こえる扉の向こうの部屋と同一だろう。
・初めて主人公が意識を失ったとき、なぜ殺されずにメフィストの部屋で縛られていたのか
たぶん、誘拐された人はメフィストの部屋に監禁され、それから地下の牢獄に移されて生贄にされるのだろう。主人公は牢獄に移される前に目が覚めたという設定なのではないかと推測する。
・なぜ応接室と接客室が別にあるのか?
これは似て非なるものだからだ。応接室はその名のとおり応接する部屋であり、目的は商談などの話し合いをする部屋なのである。いっぽう接客室は、おもてなしをする空間であり、相手とお近づきになるのが目的なので、リラックスできるような環境になっている。応接室で話をまとめ、そのあと接客室で一杯飲って親密になるというわけだ。
・合言葉の謎
山羊頭やプラヴィーミではないのは情報から推理できる。地獄の館にふさわしい恐ろしい言葉だというのもシーコウの情報からわかる。しかしなぜ、「殺人」なのか。全く理解できなかった。選択肢の引き算で合言葉は「殺人」に行きつく。しかしこれは四択だから得れる解答であって、自由解答式であれば答えられない。どうしても納得ができなかった。ネットを徘徊していたら疑問が氷解した。マーダーはドラマーのアナグラムなのである。murder→durmer
おいおい、マーダーといったら定番は逆さ読みのレッドラムだろ?(ホラー好きならシャイニング観たことあんだろ?)
murder →redrum
ああそうか、悪魔崇拝に血塗られた山羊がテーマだから、アナグラムのドラマーなのか。つまり赤い食堂の意味はレッドだから?悪魔崇拝者が山羊の仮面をかぶるのも?
それにしても英語(作者はイギリス人だから仕方ないが)でテキストを読まないと答えられない問題だ。いろいろと難しいとは思うが、せめてドラマーとか作中で綴りを教えて欲しかったなあ。ちなみにシーコウ(SHEKOU)で意味のあるアナグラムがあるかをAIに調べてもらったが存在しないとのこと。
・恐怖点のヤバさ
このゲームの難易度を上げているのは謎だけではない。純粋に辛(から)いゲームなのだ。グレートデンは弱い。フランクリンズも弱い。しかし、地獄の悪魔が強すぎる。なにより、奴と遭遇したとき、恐怖点3点を加えるのは辛すぎる。それでもまだ生きのびていて~と書いてあるから、この時点で死ぬのは想定範囲内なのだろう。しか~し、最大恐怖点がゲームの仕様上7点の場合もありうるから、その場合にフラグを立ててプレイすると、ルート的に必ずショック死してしまうのでゲームとして成立しない。これはフェアじゃない。とはいえ、俺が作者の立場だったら、やはり地獄の悪魔に遭遇した時点で恐怖点を3点加えさせると思う。これは作者なりのラスボスへの敬意なのだろうと理解することにした。恐怖点を減らすイベントはあるにはあるが、ほとんどがバッドエンドなので意味がない。アルコールを摂取したときに下がる傾向がある。酒の上での勢いらしい。結論として、恐怖点は最低下限を9点にしても良いと思う。
・地獄の悪魔対策
FFシリーズ中でも最強クラスの敵だ。はっきり言って対策なんぞない。ここは一発、サイコロの目にかけるしかない。クリス・ナイフのボーナスがあってもキャラクター側は最高で技術点が15だ。残りの体力点が同じくらいなら、ほぼ互角の戦いになる。運試しをつかって深手を負わせても勝つのが難しい敵だ。
クリス・ナイフ以外にも、なんらかのリスクやペナルティを負う代償として強力な敵の弱点を突けるイベントがあるなら、そちらのほうがゲームとしてバランスが取れているのだが、当然そんなものはない。
このゲームのキャラクターは、設定だとビジネスマン風だ。体力は鍛えていて優れているのかもしれないし、運は強くても不思議ではない。しかし、とくに戦闘能力に長けているような記述はない。なのに、こんな危険があぶない家の中を一般ピーポーの男が狂わずに生き延びるだけでも難しいのに、なんと悪魔退治までするという、まるでハリウッド映画のような活躍をしなくてはならない。だから、本作品の冒険はとくに難易度が高く、むしろ奇跡が起こらないと不自然だということにしておこう。
原技術点が最高の12だと、たいていの敵には楽勝できるが、地獄の悪魔にだけは勝てない可能性がある。最低の7だと雑魚相手にすら苦戦するし、ラスボスには絶対に勝てないと思う。戦闘のバランスが悪いのがこの作品の欠点なのだ。
たしかにランダムなサイコロの目というものに運命を左右されるからこそスリルがあって楽しいわけで、ただ指示に従って読み進めるだけでは面白くない。しかし、まったく戦闘シーンで勝てないのは、もっと面白くない。
そこで、恐怖点に限り最低上限を9以上にするのと、ヒントを正しく得た場合に限り、地獄の悪魔の技術点を下げることができるというオリジナルルールを作ってみた。
白髪の男に会うと技術点を1引ける。はげあたまの男と話すと1点引ける。
シーコウに会って情報を得ると1点引ける。
合計3点。それでも奴の技術点は11点。どんだけ強いんだよ。
あるいは拷問室のテストのように、重要なワードほど高いポイントってのもいいよね。そのあたりは各自研究してみて欲しい。
・フランクリンズの謎
一回ダメージを与えると、溶けて地獄の悪魔に変身するのだが、これは執事の正体が「主」だったのか。それとも長身の暴力に弱い男は、悪魔に体を乗っ取られた憐れな犠牲者だったのか。作中ではよくわからない。考えてみると、ケルナーは吸血鬼だから悪魔じゃない。ケルナーの正体が吸血鬼だと考えられるのは彼と食事をしたときの話を思い出せば、それがヒントになっていると推測できるからだ。だから勘のいいプレイヤーは、もしかしたらケルナーは悪魔崇拝者らの長ではあるが「主」ではないと気がつく。
・パンチの利いてる独特な言葉回し
この作品の中には独特の言葉が多い。よくある翻訳調の言葉だが、原文が明らかに変わっているなと思える文章もある。
表情から判断してとても愉快な死に方だったとは思えない。
「とても愉快な死に方だったとは思えない」って言葉回しが、いかにも変態っぽくて嫌いじゃない。
「二度とこんな恥は見せないから」
とか。牢屋にいる長身の険しい顔した男のセリフなのだが、殺してくれと懇願するからナイフで楽にしてやろうとすると、君は武器を奪われた挙句、刺されて死ぬんだぜ。
なんとかなるのではと思い、君はそれを押してみた
すると大きなベル音が辺りに響き渡ってしまい、君は邪悪な連中に捕まってしまう。
何をどうしても最終的にはボタンを押すことになってしまう。つまり一言でいえば、このルートは間違ってますよと作者が教えてくれているのだ。
主人公の言い訳じみた態度の描写も巧みである。玄関でフランクリンズに説明するときや、金の鍵を持っていたのが見つかったときの対応だ。
「君の冒険はここで終わった」
ゲームブック特有の言葉回しも好きだな。
スティーブ・ジャクソンさんは、セリフや状況説明に独特のセンスがある。
以下メモ書き
・ドラマーの領主ケルナー卿とニンニクが大嫌いな吸血鬼は同一人物なのか、という疑問
挿絵を見る限り顔が似てるよね。どちらもオールバックだし。服装は違うから別人と言われたら別人のような気もする。
・フランクリンズは「主」だったのか。それとも、地獄の悪魔が乗り移っていただけの憐れな存在なのか。
溶けていくという描写が気になった。人間の皮を被った悪魔の姿だっのか。それとも依代だったフランクリンズの肉体が滅びたのか。
話が面白い人とつまらない人の差について
久しぶりのカタカタである。
さて、今回は書きたい話題がある。
話が面白い人と、つまらない人の差についてである。
話を聞いているだけで、うんざりする人がいる。
いっぽう、おいとまする時間をとうに過ぎていても、椅子から離れるのが惜しくなるほど話の面白い人もいる。
つまらない話を聞いているだけで眠くなる。まったく自分にとってはどうでもいい話を延々と聞かされるのにも我慢の限界がある。
まあ、だいたいが自慢話か愚痴話なのである。これらの話の特徴は、飽くなき自己主張なのである。どこまで行っても自分自分、よくもまあ、そんなに自分自身にのみ興味がおありになられるものだと感心を通り越して呆れるのである。
聞き手を全く意識していない。己と向き合ってるのか、己にしか興味がないのか、その二つがどう違うのかを考えながら聞いていると、要するに、自分の主張に賛同して欲しいだけなのではないかと思えてくる。
話がつまらない人の特徴
先日ひたすら遺産相続の話をする人に出会った。
ある地方での話である。先祖が有力者で一帯の土地が一族のモノなのだが、土地の遺産分割をめぐって親戚で揉めているのである。
彼は「私はそこいらの弁護士よりも遺産相続の法律に関しては詳しい」とうそぶいていた。
そして、自分の主張がいかに正当であるか、兄弟がどれだけ邪悪かを力説していた。大学院に進んだ子供の研究テーマが一族のルーツだという話にも驚いた。
本当に家名を誇りにされているのだろう。彼は自分の言い分を信じ、土地の分割に対する主張を緩める気はない。きっと死ぬまで解決しないのだろう。
正直な話、人の土地の問題になど全く興味がない。マイナーな人物の家系図を辿るのには知的興奮を覚えない。最後のほうは船を漕いでいたので、内容も覚えていないから、ただひたすら「お付き合い」しただけに過ぎない。
彼には面白く話してやろうといったサービス精神が皆無であった。時間を割いて話を聞いているのだから、せめて面白おかしく語りやがれと腹立たしくなりケチをつけたくなった。
嫌なら話を聞かなければいい、という考えは通用しない。つまらない話にも付き合ってあげるのが、人間社会の礼儀であり思いやりなのである。彼には頃合いを見計らって話を止める配慮が足りない。話を続けたいのなら、笑えるエピソードを織り交ぜるなどの工夫が欲しい。
話の面白い人の印象
自慢話ばかりでも構わない。ただし、そこにギャグを噛ませるテクがあればの話である。
バカ話だけでは人間性が薄っぺらいと思い適当にしか扱いたくなくなるが、ときおり含蓄を含んだ一言を発すると、この人の言うことには価値があると注目したくなる。
また、ただ単に自己主張ではなく、誰かのために自分はこう思う、という発言は、その人のもつ高い精神性を浮かび上がらせる光を放つ。
心の奥底から自然に湧き上がってくる意識していない心、つまり義や利他だからである。
なんの下心もない、人を喜ばせたいという感情で溢れているのが面白い話である。
1100文字 20分所要
思いつきで久々に書いた。最近忙しいのでなかなか書く時間が取れない。
本当に書く気があれば何が何でも時間を捻出するものだ。まだまだ自分には習慣化していないのと、書く覚悟がない。とはいえ、自分を責める気もない。
覚悟がどうとか、今はいい。そのうちに自然に覚悟しなくてはならないときがやってくるだろうから。
思い込まされている罪悪感
湧き上がる罪悪感
仕事をしていなかったり、誰の役にも立てない無力感が、そのまま罪悪感へと変容する。職を失ったり、病気で働けないのは仕方がないことである。それでも昼間から働いている人を見ると、申し訳なさと情けなさが込み上げてきて泣きたくなるのである。
財産を食いつぶして仕事もせずパチンコ三昧の日々を送っている人を見ると、ふざけた奴だと思う。別に自分自身は何の迷惑も被っていないのにも関わらず、である。
そういう人間を見下して、「あんな人間にだけはなりたくない」という。
まさにアリとキリギリスである。キリギリスが冬に食べ物がなくて困っても、それは自業自得であり、助ける義理はない。努力をした俺たちは、そう考えてしまう。
仮に仕事をしようがしまいが同じ金額しかもらえないなら、一生懸命働くのが馬鹿らしくなる。頑張るほど財をかすめ取られるのだから当然である。
社畜という言葉がある。会社のために身を粉にして働く人々を侮蔑して呼ぶ言葉である。頑張って働いて、その先にあるのは経営者の儲けである。
社畜と呼ばれる人々は「俺が居ないと現場が回らない」と、怒りのパワーで休日返上で不眠不休で働き、納期に間に合わせる。それを誇りとしている。
仕事に人生を捧げるのを美徳とする価値観が普遍的な社会では、働けない人は社会のお荷物だと考えるようになる。働けないのは努力が足らないのでは、なにか悪いことをしているのでは、と考える人が多いからである。
タモリの名言「真剣にやれよ、仕事じゃねえんだぞ」は、エキセントリックに感じるが、実は極めてまともな意見である。
趣味や、自分が人生かけてやりたい仕事(ライフワークという言葉は好きではない)は真面目にやれといっているからである。
逆に言えば、職業としての仕事は(ライスワークという言葉は嫌いだ)、とくに雇われ業務は、自分の人生を犠牲にしてまでやるほどのことじゃあない、ということである。
不真面目にやれと言っているのではなく、社畜になることはない、仕事はきっちりと終えて、余暇には人生をもっと楽しもうと言っているのである。
「やる気のあるものは去れ」も同様である。タモリ本人がそう解説したわけではないので真意は知らないが、少なくとも俺はそのように受け取っている。
社畜という言葉が生まれる背景には、会社や社会のために人生を削りとるのが美徳だと思い込ましている何者かの存在がある。
べつに政治的な話をしたいのではない。陰謀論を語りたいのでもない。
あなたが赤い薬を飲んでウサギの穴の中に入ろうが、青い薬を飲んでベットでいつも通り目覚めようが、俺にはどうでもよい話だからだ。
赤い薬を飲み、あなたが現実世界で目覚めたときに、俺の言っている意味が分かるだけである。
本当にやるべきことだけをやる
取捨選択、ときには取捨択一し、本当に必要なこと以外は諦めることも大切である。
心のそこからやりたい、やらずにいられないこと以外は、とりあえず差し迫って必要なことだけをする。あれもこれも効率よくこなそうと考えると、神経質な人間には追い詰められたような心理状態になる。
そこそこでよい。形になっていればよいと考えられるようになったら、しめたものである。神経質だと、うまくできないくらいなら、やらないほうがよい、と考えてしまうからである。行動に移すまでに非常に時間がかかり、結果やらなくなるのである。
自身の認知が偏っていると認め、細かさを自覚したうえで、いい塩梅に大雑把になるように調整してみる。細かさは長所なのであるが、当事者にとっては苦痛でもある。
細かさを手放す罪悪感は思い込みだと自覚すると苦痛が和らぐ。
自分を犠牲にすることで、社会に価値を認めてもらえるだろうと考えても、実際には資本家が儲かるだけだと思い込んでみよう。しかも彼らは、ありがたいと感謝するのではなく、仕事とやりがいを与えていると見下していると考えてみる。
やりがいや精神論を押し付けてくる連中の吐く言葉を真に受けてはならない。眉に唾してあしらおう。
責任から逃れるのとは違う。不必要に自身を追い詰めることはない、ということである。
本当は自分が思っているよりも、世界は性悪ではない、かもしれない。
世界が公平だと考えている人は多く、割と普遍的な認識である。
神羅万象の理がバランスをとろうとする世界である。だから因果応報であり、悪いことが起きた人はそれ相応の罪がある、という考えである。
俺も世界はバランスだと主張しているが、世界がバランスをとろうとしているのではなく、個人の心がバランスをとろうとしている意であって、同じではない。
受けた恩を返そうとか、受け取ったのに返さない恩知らずに怒りを感じるとか、そういった人の心の動きに関しての話である。
そういった思い込みは、すべて認識の問題なのである。それを自覚すれば、こうも考えることができる。
この世界はRPGだと。
つまり、自分の意志で動いているように見えるが、みな役割を演じているだけであって、仮想現実ゲームの中にいるだけなのかもしれないと。
俺たちは、洞窟の壁に落とされた影をみているだけなのかもしれないと。
真実のごく一部しか知らず、そのものは見えていないと。
2100文字 一時間半所要
まあまあのペースである。集中できればもっと早く打てる気がする。
色々と考えていることを書き始めると、事実確認したりと調べものの時間がある。それも含めてのペースなので、タイピングが早くなったといえる。
変換ミスや苦手なタイプがある。とくに横文字を打ち込むのが苦手である。
ひたすら同じ主張を言葉を変えて続けているだけである。自分自身のために書いているのでくどくなる。
自覚的に無神経になる
カタカタする時間である。
別に論文を書くわけではない。順不同で、とにかく今言いたいことを書くことにしよう。
前回は認知について書いた。認知そのものを論ずるのは非常に難しい。いまだに解決していない深い問題だからである。とにかく言いたいのは、誰しも認知に偏りがあって、それを無くすのは不可能だということだ。
自覚的に無神経になる
クヨクヨしても仕方がないときがある。場数を踏めば、そうなる場合もある。慣れの問題である。修羅場を潜り抜けるとふてぶてしい度胸がつく。
繊細であることは大切だし、元々が神経質なのであれば、それをマイナスと捉える必要もない。ああ、俺は細かいことによく気がつき、傷つきやすい体質なのだなと受け止める。
そのうえで、いざとなると俺はふてぶてしい面もあるな、と思い込む。
それは生きるための知恵だと思う。
タフでなければ生きていけない。優しくなければ生きてる資格がない。
フィリップ・マーロウのセリフの通りである。
銀河鉄道999にも似たようなシーンがある。
「あんなのをみても食欲に関係ない。鉄郎タフになったわね」
エターナル編で、ヴァルキリーの空間擲弾兵(スペースグレネイダー)に始末された犬どもの死体を見て「うわー 食事がまずくなる」といいつつ、食欲にまったく影響のない鉄郎を評してメーテルが言う言葉である。
「いちいち驚いていたら、生きていけなかったんだ」
「ぼく自身がだんだん残酷な人間になるようで…冷酷な人間になるようで気になるけど……しかたがなかったんだ…」
メーテルは鉄郎に理解を示す。
「星の海は厳しい処…死と隣り合わせのフロンティアだものね。
タフで動揺しない図太い神経を養わない限り、生き抜く事はできない…」
「ごめんね鉄郎…気にしないで……」
厳しい環境に適応するためには、自覚的に無神経になることも必要である。しかし、無神経であることを苦にする感受性も同時に必要である。
神経質だと、人に期待するのはよそう、と考える。
甘えているのは恥だと思う。親切にしてもらって当たり前だという考え方が、どうも許せないのである。
親切にうろたえる。どう対処したらよいのかわからない。借りを作ってしまった、よけいなお世話だ迷惑だと思う気持ちが湧き上がるのと、親切に慣れていないので、どう感謝を表現すればいいのか分からなくてパニックになる。
頼むから放っておいてくれ、と願う。あまり深く関わり合いたくない。いきなり懐にふみこまれているようで恐ろしさすら感じる。一定の間合いを保たないと精神的にもたないのである。
金銭的にも精神的にも借りを作りたくない。貸しはあってもいいが、返してもらえると期待はしない。だから、積極的に親切にするのが難しい。そう、難しいのである。イヤだとか、面倒くさいではなく、難しいのである。
親切にしたいのに、その行動がどう影響するかを考えるほど分からなくなり、果たして迷惑ではないだろうか、かえって嫌がられないだろうかとさんざん悩んでいるうちに、なにも出来なくなるのである。
親切な行いをしたいのに、行動できない。一人相撲をとって、勝手に精神的に参っているだけなのに、それを理解してもらえない辛さがある。むしろ非難されることがある。
そういった日々に疲れ切って、敢えて見えないふりをするのである。精神的なバリアである。結界を張っていることに気がつかず、優しさを押し売りしてくる連中に対し、憎しみすら感じる。彼らは正義の看板を背負ってキレイごとを言っているだけで、結局は自分が気持ち良くなりたいだけなのである。
心のモードを切り替える
心配や問題を抱えているとリラックスできない。いつまでたっても仕事が終わらない。
仕事のことばかり考えてイライラする。
こんなときは心のスペースが少ない状態である。
机上に仕事の本ばかりが置いてあり(いわゆる獺祭である)片付けられていないので、なにか読むたびに本棚にいちいち取りに行かなくてはならないので不便なのと同じことである。不要な本を片付けて、書くのに集中できるだけのスペースを確保しないことには捗らない。
一言でいえば、メモリー不足のPCのようなものである。
そんな状態では、難解な本に取り組んだり、心を震わす読書をするのは無理である。
心の中に常に焦りがあり、このままではよくないと思いながらも、ネットサーフィンや漫画、YouTube、テレビに逃げる。だらだらと受動的に時間を消費してしまう。
先のことを心配しすぎるあまり、何も手につかなくなる。
時計を見て、ふと湧き上がる罪悪感に打ちのめされる。
そういうときにこそ、自覚的に無神経になればいいのである。
つまり、心配する気持ちや罪悪感は、認知のバイアスであるとメタ認知するのである。
逆にこう考えてもいい。心が常に穏やかな状態などありえない。不動心などといった精神状態は観念の中にしか存在しない心境で、穏やかに保つように心身で調整しているのだと。
自分の影響でなにかが変わるのなら、気を揉む意味もある。しかし、自分ではどうしようもないもの、つまり他人の気持ちや考え、天気などを考えても仕方がない。
自分で変えることができるものと切り分けて考える。
このように書いていると、自己啓発本の内容と酷似していて嫌になるが、実際にその通りなのだから仕方がない。
俺はあくまでもポジティブの押し売りが嫌なだけで、認識の偏りを認め、自覚する考えについては同意である。
2200文字 一時間半所要
まだまだ全然書き足らないのだが、時間がない。
しばらくは同じネタになる。つまらない、興味がない人が殆どだろうし、実際に読者の数はほぼ毎日0人である。つまり読んでいる人などいないのである。
ネットの海に放つのが目的の、ただの日記というか考えを記録したものである。最低限読める形にする義務があるというだけで、ようするにチラシの裏に書きなぐった落書きのようなものである。
神経質な性質をなんとかしたい
数日ぶりのカタカタタイムである。
ちょっと書く気分にならなかった。インプットの時間もあったし、考えがまとまらないので書けなかった。
何日かの間に考えていたことを小出しに書いてみたい。
インプットといえば、マイケル・サンデル教授の新刊を読んでいる。邦題は「実力も運のうち 能力主義は正義か?」である。
本の内容は、タイトルからも判断できるように、能力主義の不平等について説明し思想を展開している。
俺が以前よりブログや一部の人に主張している「努力の信者」について言及している。さらっと読んで「大体わかった」では勿体ない。じっくりとよんで血肉にしていきたい。元々興味のあるテーマである。染み込むように頭に入ってくるが、サンデル教授は政治哲学が専門なので扱っている内容が大きすぎると個人的には思った。
神経質な性質をなんとかしたい
俺は非常に神経質である。文章に頻出する単語から性質を判断するAIがあると聞いたことがある。仮に自覚がなくとも、それで測ればおのずと判明するであろう。
素人判断になるが、おそらくHSPでもある。ネット診断によれば、間違いなくHSPとのことである。実際にそうかどうかというより、その疑いがあって、実際に悩んでいるのが問題なのである。
疲れやすく、つねに鬱である。極端に睡眠時間が長い場合もあるし、短い場合もある。
精神的に安定しているように見えるが、気力が湧きたたずに命を長らえているだけのような毎日なのである。しかも時折イヤな考えが頭を支配し、何も手につかなくなる。しばらく時間がたって脳ミソ回路の線路が切り替わるとネガティブな妄想から逃れることができるのである。
これから書くことは、社会心理学を修めている人からすれば間違いであったり、当たり前のことなのかもしれない。俺はまったく無知なので、自身の考えをそのまま書くだけだ。
スピリチュアルや自己啓発に近いいかがわしさもある内容だが、自己救済の目的で考えたうえでの結論である。もちろん間違いに気がついた時点で、正しい考えにアップデートし改めるつもりである。
主旨は、神経質な人間は認知の偏りを自覚しメタ認知することで、いい塩梅に細かさを手放すことで僅かでもタフになれるのではないか、ということである。
ありとあらゆる認知には偏りがある。それを正すことは人間には不可能だと看破する。
この意見は論理的には矛盾している。看破したと認知した時点で偏りがあるからである。
だから論理ではなく、心で理解して欲しい。
つまり、なんにしても取っ掛かりとして決めつけるしかないということである。絶対に揺るぐことのない足場を積み上げて、すべてに共通して破綻の無い理論を生み出すのが理想だが、実際には正しいと仮定して強引に当てはめて証明するしかない問題もあるということである。
自分には偏見がないと考えず、偏見があると自覚することから、すべてが始まる
認知には歪みがある。どれほど自分が素直であったとしてもである。疑い深い人間に、「ひねくれた物の見方をしてますね」と指摘をしても受け入れないという話ではなく、正しい量と方向を知るのは人間には不可能だという話である。
これをわかりやすく説明する。
あなたは今、RPGゲームの世界にいると仮定しよう。
ステータス画面を開くと、HPやつよさなどのパラメーターから、具体的で正確な能力値を把握できるだろう。だから味方や敵のパラメーターと比較すれば、自身が相対的に優れているかどうかが判断できる。
しかし、現実世界では、人間の能力を数値で具体的に知るのは不可能である。
もちろん、屈強な肉体だからあいつは強そうだ、とか、学力テストで常にトップだから彼女は頭が良さそうだ、などと判断はできる。しかし、試合結果や試験の点数は数値としては目安にはなるが、すべてを決定づけるほどの重要さをもたない。
試合で弱い相手と当たったからたまたま勝っただけで、つまり運が良かっただけかもしれない。試験結果が悪かったのは、たまたま体調がすぐれなかったからかもしれない。
運や環境の要素なしに結果だけで能力を測れるほど人間は単純ではない。しかし、それで判断するしかないから、そうしているだけである。
能力が優れているかどうかは比較して判断できると考えるだろうが、自分と比べるときには多めに見積もったり低く見積もったりするものである。それが認知の偏りである。
ここまで1700文字 約1時間半
時間オーバーのため、ここで終了だが、まだ書くべきことは山ほどある。
書くのは億劫だが、話すよりもいい。しかも書き始めると、どれだけでも書いていたい。時間を忘れるほどである。書き始めるまでが辛いのである。筆が乗るというかリズムが出来上がるとバシバシとキーボードを叩き続けても飽きない。ブラックコーヒーの量が増え、尿が近くなるのとお腹の調子が悪くなるくらいしか影響はない。
ところで俺は論ずるのが苦手だと気がついた。分析的ではないからである。
いっけん論理的に見えるが、ただ単に理屈っぽい話し方をするだけで実のところは論理的ではない。数学や論理学は苦手である。
むしろ物語るほうが向いているのではないか。やったことがないので自分でも分からないのだが。
この点についても、なぜそう考えたのか書きたいと思っている。
共感について
日課のカタカタをしよう。
激しく同意します
昨今聞く言葉に、「共感」がある。
TwitterなどのSNSの発信や書籍などを取り上げて、「共感の嵐」などと騒ぎ立てるのである。よく目にするのは、人生について4コマ漫画で表現した作品である。
俺はこの現象に食傷気味であり、なにかと共感しまくる衆人に対し些かイラついているのである。
その理由として考えられるのは、ひとつは俺自身の承認欲求が満たされていない状態だからだと思う。つまりは嫉妬である。
そういった作品は衆目を集めるだけあって、発言にキレがあったり漫画が秀逸なのである。今の自分には創作できるレベルではなく、正直悔しいのである。
共感を英語にするとシンパシーである。シンパシーというのは同情するとか気の毒といったネガティブなイメージを持った言葉である。
一方、「共感の嵐」の場合は、「あ、わかる!そうだよね!言語化してくれてサンキュー」といったニュアンスである。
とはいえ、仲間意識からくる感情なのは変わりがない。親しみのある存在だからこそ共感するのである。その点においてエンパシーとは異なる。
発言者が全く知らない人であっても、立場や考え方に共通点を見出したから共感するわけで、仮に意見や主張にバイアスがあり乱暴な決めつけがあっても、批判的な態度をとらずに同志として受け入れるのである。
その場所はエコーチャンバーの居心地の良い場所となり排他的になる。
外部からは弱者の傷のなめ合いのように見えることもあるし、単なる欠席裁判ショーにしか見えないこともある。
井戸端でも、給湯室でも、便所でも、昔から諸人は共感しあい支え合って生きてきた。それを否定する気は毛頭ないが、そういった紐帯の確認作業に辟易している人間がいるのは指摘しておきたい。
共感しない奴は敵だと見做されるのが厄介だから、共感したフリをすることもある。
お前は敵なのか、味方なのか、と、問われているからである。
まさに感情の押しつけである。愛や絆といった言葉を軽々しく口にする人間ほど、そういった傾向が強いと個人的に思う。
友人が神のように崇めている人がいる。彼に会うたびに「○○さんはスゴイだろ」「偉大なんだよ」「だから崇めろ」と押し付けてくる。
そのたびに、「スゴイねー!」「そうなんだね」と受け止めるのだが、心の中では、「君にとってはね」と付け加えている。本当の意味で共感しないのは、彼をバカにしているからではない。無批判で受け入れられないだけである。
わざわざ敵対したくもないので歩調をあわせはするが、正直なところ深入りしたいとは思っていない。
共感というのは自分自身の感情の動きであって、共感を集めている主張に耳を傾けはするものの、無批判では受け入れないし他人に強制されるものではない。
意気投合した相手と意見が割れると怒りを感じる人がいる。自分が否定されたと受け取るからである。自分と同じ考えの人間などいないと諦念するのは意外と難しいのである。
1200文字 1時間40分所要
共感する心は大切なのだが、共感を連帯感と勘違いして強要する文化が日本にはある。
偏った情報を鵜呑みにし、あいつは叩かれても仕方がない悪い奴だと決めつけて、自分の意見と同じ書き込みを見つけると、乗っかって誹謗中傷する。
みんなが自分の書き込みに共感してくれると承認欲求が満たされて脳内物質がドバドバ分泌されるのだろう。
他人がなにをしようと勝手だが、俺は一匹狼がいい。いかにもオンラインサロンは居心地が悪そうである。