社会問題を書くのは、なんかヤバイぜ
カタカタの時間である。
本日のテーマは、ちょっと迷ったのだが、「男性弱者論」について語ってみる。
ここ数年前から、男性弱者というワードを目にするようになった。
きもくて弱いオッサンが、自身を指して使うワードだという。
何日か前に、著名な人物が社会的地位のある女性に対しSNS上で侮蔑的な内容の書き込みをしていた問題が記事になっていた。
女性蔑視について簡単に調べたら、男性弱者というワードが引っかかった。
男性弱者とはなんであろうか。あまりこの手の社会的問題にはタッチしない方針なのだが、自分なりの理解の範疇で探ってみよう。
まず俺の立ち位置を明らかにしておくと、男性弱者側でもないし彼らに批判的な立場でもない。考えながら書くから結論はでない。だしたくもない。
ネットを徘徊して理解した範囲でだした俺の考え
男性弱者のつらさに寄り添う姿勢は大切である。しかし、男性が「自分らは当然優遇されるべき」だと無意識に信じているのなら、その点は是正されるべきである。
<男性の人生はつらい=女性の地位改善はおかしい> という間違った結論を生み出すからである。
本来なら自分たちのものであった様々な権利を、女性が弱者という体で横取りしたという認識だからである。
男性弱者のつらさは、男性の社会イメージと現状のギャップだと指摘する人もいる。
男は仕事ができてナンボ、見た目が悪くても高収入なら立派である、男は甲斐性、こんな言葉が優秀で強い男性の社会イメージとして実際にある。
自分自身が非正規雇用で低収入だったりすると、男性に要求される社会イメージとギャップがあるため苦しむ。
婚活でも、男性に最も必要とされるステータスは年収である。年収が低くても結婚相手を探せる女性に対して、男はまず年収で判断される。だから女性は優遇されている、ズルいというのである。
「女はズルい。女性というだけで配慮されて、結婚しても一家を養う経済的責任がないのに、男性側の人柄も知ろうとせず年収だけで人を判断するのか」というわけである。
本来なら、男性弱者は椅子取りゲームの勝者である男性強者に対して怒りを感じるのが筋ではあるが、実際にはそうではない。その代わり、怒りはある意味同じ属性である、高収入を得て自立し、社会的地位が高い(独身)女性に対して湧き上がってくるのであろう。
多くの男性にとって、女性は自分を脅かすライバルとしての存在ではなく、自分を支えてくれる存在であってほしいという願望がある。
だから自分より仕事面で優れていてはならないのである。
同様に、男性弱者には女性というものは見た目や年収ではなく優しさなどの人柄を重視して男を選び、無償の愛を注いでくれる存在であるべきだという願望がある。
だから、年収で男を選ぶ女を毛嫌いするのである。
一部の男性弱者は収入もコミュニケーション能力も低くて結婚ができないのは根本的に世の中が間違っていると思っていて、その恩恵に与ってる女性を隙があれば攻撃したいと考えている。だから女性に侮蔑的な行為をするのだろう。
具体的にどこが間違っているというのではなく、抽象的にそう考えている。女性というのも特定の誰というのではなく、イメージである。
その認識が誤っているとか、理屈が間違っているとか、そういう問題ではない。これらは感情論なのである。
だから、いくら正論を言っても聞き入れない。
人間の本質として、他人を攻撃したいのである。自分が上手くいかない理由を誰かのせいにして憎むのが人間なのである。
だから、男性弱者が女性蔑視する気持ちは理解できる。人間の性なのだから仕方がないのである。
問題は侮蔑的な発言や書き込み行為である。これらは許されない行いであって、理性にてコントロールされなくてはならない。
自分がされたら嫌なことを人にはしないのが法であるし、社会の道徳である。
なぜ彼らが女性蔑視するのかを考えると、社会における男性像とのギャップの大きさが理解できる。彼らが苦しむのは、彼らを含めた社会全体のイメージによるものが大きいのである。
社会全体が変わらないと、この問題は解決しない。
だから、男性弱者側を執拗に正論で追い詰めるのも間違っている。
そんなことで絶対に解決するとは思えないのである。
社会全体に寛容の精神があればいいのだが。
1700文字 約2時間所要
社会問題を書くのは割と勇気がいる。炎上するかもしれないからである。こんなクソみたいな文章でも、ネットにつなげれば誰でも読めるのである。
たまたま検索で引っかかって、SNSに晒されたらアウトである。
男性弱者、女性蔑視というワードに、素通りできない迫力があって、どうしても書かざるを得ない気分だった。動機はそれだけである。深い意味はない。