弱い方が強い
人間同士のコミュニケーションの複雑さをシンプルな理論で簡単に説明できるものではない。
脳科学や心理学、進化人類学で人間のすべてが明らかになるかはわからない。
いじめ問題のような、現時点で解決する根本的な方法がない事柄については特にそうである。昨日の記事で語った理論は限定された条件での話であって、人それぞれ個性が異なるので実際には人の数だけ考えられるケースがある。俺の感覚で個別のケースは考えに入れずに書いたから偏りがある。読む人によっては全く当てはまらず同意できない内容だと思う。
明確な判断基準がないのに、なにが正しいとか間違っているとか確信をもって判断できないはずであるが、俺たちは実際にはなんか妙だとか、それが正しいとなると気持ちが落ち着かないな、と理屈抜きで正しい悪いを判断している。
そして、おそらく集団内で大多数を占めている判断が普通と考えられる。
だから、過去にはそれが正しいとされていたことでも、現在では間違っていると判断される物事もある。
現代の日本は個人主義的にシフトしている。マイノリティの権利が脅かされる事案に対して社会全体が敏感になったなと感じる。少数派は我慢しろから、少数派の権利を守ろうとなっている。
たとえば、30年くらい前はタバコはどこでも吸えたが、現在は吸える場所は限定されている。
タバコを吸わない人が増えたのも原因だと思うが、嫌煙権が認められるようになった。
弱い方が強い
誤解を受けて炎上したくないので書きたくなかったが、敢えて書く。これからは愚痴のようなものである。
知り合いに散々迷惑をかけられて逃げられた。ようやく居場所を発見したのだが、そいつは精神病を患っていてた。いま追い込んだら症状が悪化して自殺するかもしれないので、残念だけど現時点ではどうすることもできない。
人から聞いた話では、手のひらいっぱいの薬を飲んでいて、目つきもおかしかったそうだから芝居ではなく本当に病んでいるのだと思う。
弱っている人間に鞭打つような行為は、たとえそいつが最悪な人間であったとしても許されないのである。
損害賠償請求の内容証明でも送ろうものなら、精神を病んだのは俺のせいだと言いふらされて加害者にされる可能性がある。
そもそも、何も持っていない人からは取り上げられない。
精神を病むほど辛い思いをしたのだから許してやりなよと主張する、弱者の味方をするのが正しいと信じて疑わない人には辟易する。
言っておくが、俺も弱者である。大変でしたねくらいの共感は示して欲しかった。
今日は時間が少なかったので1000文字しか書けなかった。一時間程度所要。
なんどか書き直したので意外に時間がかかったのである。
なんと記事の半分が愚痴である。言い訳すると、弱者に理解を示さなくてはならない一方で、弱者ならではの強みを活かした責任回避をどう防ぐか解決策を見出さないとならないのではという問題提起のつもりで書いた記事である。
弱者を隠れ蓑にしている奴と、本当にハンデがあり配慮が必要な人の区別がつきにくい。俺の立場から見ると当然の行いでも「正義感の強い人」から見ると弱いものいじめをしているように映る場合がある。
少し昔に、「てめえか、てめえかよ」っておばさんが切れてるYouTube動画があった。
あのおばさんから見たら動画撮ってる奴が悪人だけど、さいごに駅員に取り押さえられるのは、おばさんなんだよな。あれを真似してる小学生の動画もあった。確かに似てたけど、あのおばさんが切れてる理由は分ってたのかなと思った。
今日はこの辺で終えようと思う。