思い込まされている罪悪感
湧き上がる罪悪感
仕事をしていなかったり、誰の役にも立てない無力感が、そのまま罪悪感へと変容する。職を失ったり、病気で働けないのは仕方がないことである。それでも昼間から働いている人を見ると、申し訳なさと情けなさが込み上げてきて泣きたくなるのである。
財産を食いつぶして仕事もせずパチンコ三昧の日々を送っている人を見ると、ふざけた奴だと思う。別に自分自身は何の迷惑も受けていないのにも関わらず、である。
そういう人間を見下して、「あんな人間にだけはなりたくない」という。
まさにアリとキリギリスである。キリギリスが冬に食べ物がなくて困っても、それは自業自得であり、助ける義理はない。努力をした俺たちは、そう考えてしまう。
仮に仕事をしようがしまいが同じ金額しかもらえないなら、一生懸命働くのが馬鹿らしくなる。頑張るほど財をかすめ取られるのだから当然である。
社畜という言葉がある。会社のために身を粉にして働く人々を侮蔑して呼ぶ言葉である。頑張って働いて、その先にあるのは経営者の儲けである。
社畜と呼ばれる人々は「俺が居ないと現場が回らない」と、怒りのパワーで休日返上で不眠不休で働き、納期に間に合わせる。それを誇りとしている。
仕事に人生を捧げるのを美徳とする価値観が普遍的な社会では、働けない人は社会のお荷物だと考えるようになる。働けないのは努力が足らないのでは、なにか悪いことをしているのでは、と考える人が多いからである。
タモリの名言「真剣にやれよ、仕事じゃねえんだぞ」は、エキセントリックに感じるが、実は極めてまともな意見である。
趣味や、自分が人生かけてやりたい仕事(ライフワークという言葉は好きではない)は真面目にやれといっているからである。
逆に言えば、職業としての仕事は(ライスワークという言葉は嫌いだ)、とくに雇われ業務は、自分の人生を犠牲にしてまでやるほどのことじゃあない、ということである。
不真面目にやれと言っているのではなく、社畜になることはない、仕事はきっちりと終えて、余暇には人生をもっと楽しもうと言っているのである。
「やる気のあるものは去れ」も同様である。タモリ本人がそう解説したわけではないので真意は知らないが、少なくとも俺はそのように受け取っている。
社畜という言葉が生まれる背景には、会社や社会のために人生を削りとるのが美徳だと思い込ましている何者かの存在がある。
べつに政治的な話をしたいのではない。陰謀論を語りたいのでもない。
あなたが赤い薬を飲んでウサギの穴の中に入ろうが、青い薬を飲んでベットでいつも通り目覚めようが、俺にはどうでもよい話だからだ。
赤い薬を飲み、あなたが現実世界で目覚めたときに、俺の言っている意味が分かるだけである。
本当にやるべきことだけをやる
取捨選択、ときには取捨択一し、本当に必要なこと以外は諦めることも大切である。
心のそこからやりたい、やらずにいられないこと以外は、とりあえず差し迫って必要なことだけをする。あれもこれも効率よくこなそうと考えると、神経質な人間には追い詰められたような心理状態になる。
そこそこでよい。形になっていればよいと考えられるようになったら、しめたものである。神経質だと、うまくできないくらいなら、やらないほうがよい、と考えてしまうからである。行動に移すまでに非常に時間がかかり、結果やらなくなるのである。
自身の認知が偏っていると認め、細かさを自覚したうえで、いい塩梅に大雑把になるように調整してみる。細かさは長所なのであるが、当事者にとっては苦痛でもある。
細かさを手放す罪悪感は思い込みだと自覚すると苦痛が和らぐ。
自分を犠牲にすることで、社会に価値を認めてもらえるだろうと考えても、実際には資本家が儲かるだけだと思い込んでみよう。しかも彼らは、ありがたいと感謝するのではなく、仕事とやりがいを与えていると見下していると考えてみる。
やりがいや精神論を押し付けてくる連中の吐く言葉を真に受けてはならない。眉に唾してあしらおう。
責任から逃れるのとは違う。不必要に自身を追い詰めることはない、ということである。
本当は自分が思っているよりも、世界は性悪ではない、かもしれない。
世界が公平だと考えている人は多く、割と普遍的な認識である。
神羅万象の理がバランスをとろうとする世界である。だから因果応報であり、悪いことが起きた人はそれ相応の罪がある、という考えである。
俺も世界はバランスだと主張しているが、世界がバランスをとろうとしているのではなく、個人の心がバランスをとろうとしている意であって、同じではない。
受けた恩を返そうとか、受け取ったのに返さない恩知らずに怒りを感じるとか、そういった人の心の動きに関しての話である。
そういった思い込みは、すべて認識の問題なのである。それを自覚すれば、こうも考えることができる。
この世界はRPGだと。
つまり、自分の意志で動いているように見えるが、みな役割を演じているだけであって、仮想現実ゲームの中にいるだけなのかもしれないと。
俺たちは、洞窟の壁に落とされた影をみているだけなのかもしれないと。
真実のごく一部しか知らず、そのものは見えていないと。
2100文字 一時間半所要
まあまあのペースである。集中できればもっと早く打てる気がする。
色々と考えていることを書き始めると、事実確認したりと調べものの時間がある。それも含めてのペースなので、タイピングが早くなったといえる。
変換ミスや苦手なタイプがある。とくに横文字を打ち込むのが苦手である。
ひたすら同じ主張を言葉を変えて続けているだけである。自分自身のために書いているのでくどくなる。