文章練習

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本の重さ

本の重さ

本には重さがある。重さと言っても重量ではなく、読みすすめ易さの意味である。

文体や内容が難解な本はもちろん、平易な文体であっても読みすすめ難い本がある。

本の厚みがあっても、数時間で読了する本もあるし、薄いのになかなか読了しない本もある。一ページ辺りの脳ミソへの負担が違うのである。

 

まず、小説とそれ以外に分けよう。小説だと読みすすめ易いのは、推理小説である。

続きが気になるから読むモチベーションが持続するし、なんといっても推理は面白いから読んでしまう。世の中にはエンタテイメント小説として完成度が高い作品が溢れているから、クオリティの低さにイライラすることがない。起承転結、つまりストーリーにメリハリがある。推理をしながら読むので頭を使って疲れるような気がするのだが、実際には疲れにくい。25mm程度の文庫本なら一晩で読了してた。俺にとっての推理小説は完全な楽しみとしての読書である。

※実際にちょうど25mmのミステリ小説はないかと本棚を漁った。ぴったりなのが歌野晶午「絶望ノート」だった。

 

一方で文学作品は読みすすめ難い。優れた作品は心理描写が巧みである。心が揺れ動き、ぐちゃぐちゃになってくる。どっと疲れが押し寄せ、ページを繰る気力がなくなるのである。回復すると読み、疲れると休むの繰り返しで読了する。

生きているあいだに、どれほどの作品を読み終えるのか考えると憂鬱になる。せめて本を読んでいるあいだだけでも時間の流れが止まらないかと願う。

文学作品は映画や漫画で読むほうがストーリーは把握しやすい。しかし、原作を知ると本来の作品の雰囲気を感じ取れる。物語そのものではなく、キャラクターの心の動きを味わえる。

行間を読む

優れた文学作品は、作中に書いていないけど、きっとこうなんだなと推測できるようになっている。その敢えて書いてない部分を補完しながら読みすすめるのは楽しい。同じ文章を読んでいるのに人によって感想が違うのは、それぞれ読み手の経験の違いから響く箇所が違うので補完する内容に差があるからである。

文章を心ゆくまで味わい尽くしていくうちに、お腹がいっぱいになる。重い本とは、そういう本のことである。

文学作品はkindleで読むのが増えた。なので端末の重量以上リアルな重さを感じない。持ち運びが楽ならいつでも読めるような気がするのだが、未だにカフカ全集を読了できずにいる。

 

小説以外の重い本

言葉遣いが旧い本、ただ単に難解な本、専門書、入門書と書いてあるのに難しい本、全く知らないジャンルの入門書、純粋に凶器となり得る重量の本などである。

これらの本は、目次とはじめにだけは目を通すが、概要を知りたいのか詳細を知りたいのか、個人的な好奇心なのか必要に迫られて調べているのか、残りを読む読まないはその時のニーズによる。

 

時間オーバーである。1100文字 1時間所要。全く気持ちが乗らないで書いたので文章に迫力がない。文の良さの話ではなく、イイタイコトが感じ取れない。質を安定して書くレベルにないのは仕方がない。