本の重さ2
前回の続きである。
いま手元にある本で、純粋に重たいのはクロニック世界全史である。
諸元は、高さ300mm、幅250mm、厚み70mm。重量は測ってないが、二階から落とせば車のボンネットがべっこり凹むのは想像に難くない。
世界全史の名に恥じぬ、威風堂々たる体躯である。
記念定価¥14800、定価¥17000。講談社会心の事典である。
カラーの資料をふんだんに使用し、その年のグローバルな出来事を解説している。記事数4000本、コラムも200本と豊富であり読み応えがありすぎる。おそらくであるが隈なく全てを読了した人は数えるほどだと思う。
そんなことは、まあ、どうでもよい。
確かに物理的にヘビーな本は、読了そのものや内容の理解を諦めたくなる壁の高さがあるが、必要に迫られて読めば、それなりに理解もできる。関連する項目を追ううちに理解が進み、後半になるほど読む負担が減るものである。
見た目に圧倒されなければ、どうということはないのである。
問題は、ぱっと見には重く見えないのに、読み始めるとずんとくる重い本の存在である。
最近読んだ本で重かったのは「にぁんちゃん」という本であった。わずか78ページを読むのに半日を要した。
内容は小学生の女の子の日記である。わかりやすいように一部手が加えてあるが、基本的に本人の書いた文章そのままである。だから文章が難しいわけではない。むしろ易しい部類といえる。
日記だから、その日にあった出来事と思ったことが書いてあるのだが、読むほどに本当にこれを読んでもいいのかと思う。なんと表現したらいいのか思いつかないのだが、美しいが触れると壊れてしまうものを見てしまったような気持ちになるのである。
この日記の、他者への思いやりにあふれた素直な筆致に、胸が締め付けられ涙がこぼれてくる。
おそらく日記には一切の嘘がなく、そのときの正直な気持ちを書いていると思う。
人間は大人になるにつれ、人に良く思われようと本心を隠して生きるようになる。そして、建前ばかり言ってるうちに自分自身にも本心を隠すようになるから、そのうちどれが本当の自分の素直な気持ちか分からなくなってくる。嘘で塗りたくった心は複雑すぎるのである。
よく子供は天使だと言う人がいるが、天使などではない。無邪気なだけである。気質や環境の問題などで、理性を働かせる前頭葉が未熟で我慢ができない子もいる。共感力に乏しく利己的に振舞う子供も多い。しかし、どんな子供にも複雑すぎない純粋な部分がまだ多く残っているのである。
日記を綴った末子さんは、両親が亡くなり朝から晩まで泥まみれになって働いてくれている兄をはじめ周囲の人々に純粋な気持ちで感謝している。
どんなくるしいことでも、かなしいことでも、まけず、りっぱに生きていくことです
と力強く書かれている部分が印象的だった。
学校の先生が日記を読んで、どんなに貧しくても立派になった人はいるぞと励ました日の日記である。
一人の人間として、筆者の純粋でまっすぐな気高さに、ただただ尊敬の念を覚えるのである。
立派というのは功績を残すだけではない。立派に生きるとはなにか。日記を読んだ人それぞれが考え、素直な気持ちで答えを出して欲しい。
ちなみに俺の考えは、お人好しであり続けることである。人に好かれたいためでもなく、そうせざるを得ないわけでもなく、自分の意志でそうあり続けたい。
約1200文字 一時間半所要
「にぁんちゃん」はじつは読了していない。少しずつ読まないと心が保てないからである。心をもっていかれる本にぶち当たったときは、必ずそうしている。ただ単に読むのが目的ではないからだ。
そういえば、トリイ・ヘイデンの「よその子」もやばかった。読み終えるまでが長かった。
内容が理解できたら可。ではもったいない作品というのが世の中にはあって、消化するまでに時間のかかる作品とじっくり向き合うのも読書の醍醐味である。
俺にとっては、そういう作品が重たい。