自分が受けた損害を他人に代償させるのはどこまで許されるか
まとまりがないが書いてみる。
俺は自宅から最寄りの駅までチャリを利用している。
駅前のチャリンコ置き場はカオスの様相である。というのも、未だにスペース契約の月極ではなく、早い者勝ちだからだ。なので毎朝がバトルである。
駐輪場をぐるり見渡し、鷹が獲物をロックオンするが如く空いてる場所にチャリを強引に押し込んでロックする。ごくまれに停める場所がない場合があるが、そんなときでも隙間を作り出し、無理やりに押し込むのである。
一昨日の話である。一日の仕事が終わり、さてチャリに乗って帰るかとカバンをカゴに入れようとしたその瞬間、かごの中に先客が居るのに気がついた。
街灯の光でじっくりと確認すると、それは使用済みのオムツであった。
なぜ、こんなところに使用済みのオムツが捨てられているのだろう。普通は捨てないだろう、人の自転車のカゴに。
仕方がないから、見も知らない赤子の使用済みオムツを処分した。
思うに、いきなり俺のカゴに捨てたのではなく、元は別のチャリのカゴに捨てたのではないだろうか。
非常識な親が、他人様のチャリのカゴに捨て去ったのだろう。そのチャリの持ち主が他のチャリのカゴに捨て、いかにも人気のないお中元を包み直して回すようにグルグルと連鎖した結果、俺のチャリのカゴに行きついたのではないだろうか。
もし仮に、ピンポイントで俺のチャリを特定して嫌がらせのつもりで汚物をカゴに入れたのならスゲー恐い。考えたくもない。とはいえ、みんな強引にチャリを突っ込んでるし、俺の停めかたに問題があったとは思えない。
仮に駐輪場が月極で、となりのチャリの人とも顔見知りだったなら、とてもじゃないが使用済みのオムツをカゴにいれるなんて行為はできない。月極で自分のスペースが決められているなら、自分の正体を知られているし、そういう場は気持ちよく使用したいと考えるからだ。
フリーの駐輪場だと、顔も知らない奴になら迷惑を掛けてもいいと思うのだろう。犯罪と言っても、せいぜい不法投棄、迷惑行為くらいで、重罪じゃないから心も痛まないし、現行犯でなければ証拠もないからバレないだろう。
被害者意識もあり、ゴミを持ち帰って処分するのもイヤだし、それなら隣のチャリのカゴに入れれば解決するなと考えるのである。
しかも、知らない奴が困っている姿を想像すると滑稽で笑えてくるのである。
知らない奴→知っている人→仲がいい人の順で道徳的に接するようになるのが人間だから仕方がない。
俺は理不尽に嫌なことをされても、それを他人に押し付けられない。
別に優しいからではない。様々なリスクを考えると割に合わないからである。
押し付ける相手がどんな人かわからない。もしかしたら向こうからくる人で、これからカゴにゴミを捨てる場面を見られるかもしれない。
誰かが一部始終を観察していて、いや、ひょっとしたらカメラが回っていてドッキリの仕掛けかもしれない。
思慮深いというか、ビビりなのである。そのおかげで人の恨みを買わずに済んでいるが、考えすぎて精神的に疲れるきらいがある。
つまるところ、気分はムカつくが汚物を持ち帰って処分したほうが気持ちが落ち着くのである。
以前、チャリのサドルを盗まれたことがある。規格品だから互換性があるし、錆びてなければ手で簡単に外れるのである。
これもおそらく
「サドルの皮が破けたので交換したいが金がない。そうだ、自転車置き場のチャリから失敬しよう。お、ちょうど良さげなのを発見!」。
「あれ、俺のチャリのサドルがない、なら隣のを外して自分のに取り付けよう」。
「私のサドルがない、隣のをもらっておこう」。
きっとこの流れだと思う。
汚物を捨てるより盗む方が罪が重いような気がするから、チャリを引いてそのまま自転車屋さんにサドルを買いに行く人、つまり、理不尽を他人に押し付けず、甘んじて受ける人は結構いると思う。
自分が受けた損害を他人に代償させるのはどこまで許されるかのボーダーラインをどこで引くかは人によって違うだろう。
犯罪の重さなのか、それとも他のなにかなのか、それは分からない。
他人のカゴに汚物を捨てたり、サドルを盗ったりするのは自力救済だ。法律では許されていない。そもそも犯人を特定して報復したわけではない。たしかに自身も被害を受けているが、別の誰かを犠牲にして被害を最小限に留めているので加害者でもある。
まあ俺だって、駐輪場が満車でも料金払った以上は停める権利があるからと、無理に押し込んでいることもある。むしろ満車でも入場できる仕様に問題があるのだから、俺は悪くないと自己正当化してしまっている。
みんな自分は悪くない。自分は被害者だ、やられたから仕返ししただけで、積極的に自分がルール違反しているのではない。元の原因を作った奴がいなければ、こんな面倒は起きなかった、悪いのはそいつだ!と思っているのかもしれない。
先日、知り合いから聞いた話である。
郊外型ショッピングセンターに買い物によく行くらしいのだが、駐車場はいつも混んでいて、やっとの思いで駐車する順番が回ってくると、駐車スペースをはみ出しギリギリ左に寄せて停めるのだという。理由はドアを開けるスペースが確保できるので出入りしやすいからである。
奴の車は幅が2mはある。それでは左隣の車は右のドアを開くスペースが殆どないから大変じゃないかと聞くと、こう答えた。
「そいつが車乗れなくてオタオタしてたら笑えるわ。車にキズつけたら弁償してもらうしな。念のためスマホで画像撮ってナンバー控えてあるからな」。
隣の車の人がかわいそうだとか思わないのと聞いてみた。奴は言った。
「だって、そうしないと俺が降りれないんだよ。俺の車のサイズでも乗り降りできるようにスペース配分しない駐車場が悪いんだよ。」
彼は普通に話していたら面白い奴だ。割と親切なところもある。
しかし、知り合い以外には鬼のように自分勝手で迷惑な人物である。しかも、自分はまともな人間で、悪いのは自分以外だと思っているのである。
約2100文字 二時間半程度所要
今回の記事はネタとしては悪くなかった。しかし、文章が最悪である。
上手い書き手ならば、このネタで面白おかしく読ませる記事を作成できたはずである。
頭の中にはあるのだが、どう組み合わせるか、どの順番で書くか、どう表現するか。
それらが雑で、急ぎ過ぎている感がある。
満遍なく達意の文章になるように心がけているのだが、残念なほど技術がなさすぎる。
心のつぶやきを読みやすく表現するエッセイ的な文章は元々苦手だったので、読みやすいブログは諦めているのだが、はっきり言ってひどすぎる。
自分が間違ってこのブログに辿り着いたら、おそらく滞在時間は一秒程度だろう。
興味を引かず、学ぶべき部分もなく、読むのが苦痛ですらある。どうしても読まなければならない文章なら別だが、そうでなければ勘弁願いたいほど読み難い。
それは自覚しているのだが、どうしても捻じれた文になってします。話し方や書き方が独特すぎると個性になるが、それと読もうと思う気になる文章かは別の話である。
つかみがOKでないと、その後にどれほど面白い文章が続こうと読んではもらえない。
この記事は俺の練習という名の自己満足で書かれているのだが、一応読者を意識して書いている。