文章練習

思いつくままキーボードでカタカタ

鬱屈していた日々

おことわり

まず、この文章を書くにあたり、ことわっておきたいことがある。

これから書く文章は愚痴でもないし、共感して欲しいわけでもない。ましてや、可哀そうな俺を知ってくれというわけでもない。

鬱屈していた日々を思い出して、その時の感情に真摯に向きあい、それが何なのかを理解し表現したいのである。

生きている意味とはなにか。問いを立て考えてみたいだけである。

表現というのは、頭の中にあるものを何らかの形で具現化することである。それを芸術で表現できるなら素晴らしいことである。残念なことに、俺には芸術で表現できるだけの力がない。だから駄文で書き散らすしか方法がない。適切な表現ではないのは理解したうえで、不適切な表現で書くしかないのである。

 

自身が鬱屈していたころの経験をTwitterで表現している人は、わりと多いようである。マンガや秀逸なツイート文で多くの共感を得てバズり、Yahoo!ニュースなどで紹介されているのを時折見かける。

しつこいが、俺は表現することで共感を得たいのではない。むしろ、そのような作品によくみられる「共感の嵐」などの煽り文句を見るたびに、何もわかってないやつが分かった気になって共感しているだけみたいな薄っぺらさを感じずにはいられず、そういった輩と関わってしまった時点でこっぱずかしい気持ちになるのである。

 

これから書こうとすることは、かなり過激な内容も含まれる。気分を害されるかたもいよう。あらかじめご承知おき頂きたい。

 

生まれてからほぼ喘息・アトピー性皮膚炎

慢性的な疾患は、生活の質を著しく悪化させる。

俺は生まれてからの人生ほぼすべて、喘息、アトピー性皮膚炎の患者である。こういった病気は基本的に寛解はするものの完治はしない。

こういった病気はありふれており、診断を受けている人はかなり多いが、発作の程度はまちまちである。とくにアトピー性皮膚炎は、死ぬような病気じゃないと軽く考えている人が多い。あくまでの俺の体感的な主観であるが、実態とはかけ離れてはいないと思う。

季節の変わり目などは、特に体調が悪化する。正直な話、花粉症ごときで辛いだの騒いでいる連中など相手にするのもアホらしいのである。むしろ花粉症程度で済むなら体ごと代わって欲しいくらいである。

発作がないときは元気そうに見えるのが、これらの疾患の特徴である。アトピー性皮膚炎は顔も手も傷だらけなので外観から判別できるが、あいつはアトピーだと認識されると皮膚が炎症しているのがデフォ状態となるので、とくだん気にされない傾向にある。

むしろ、感じるのは見下されているような雰囲気である。顔や体が湿疹だらけなのはスキンケア不足であったり不潔だったりと、つまりは本人の努力が足らないからだという決めつけや、視界に入ると汚物を見るように目を背ける人がいたのである。

感染するわけではないが、皮膚が炎症している人物と関わりを避けたがるのは本能的に理解できる。しかし、顔中に湿疹があると無能そうだとか自分より下だと思うらしく、高圧的だったり憐れんだりしてくる人がいたのは残念に思う。

そういう上から目線の人たちに、掻くから湿疹が酷くなるんだよと言われまくった。痒みがどれほど辛いのかを知らないから、そんなことを言えるのだ。たぶん、これを読んでいるあなたも掻くのを我慢できないと思う。

痒みは突然襲いかかってくる。皮膚の下を蟻がはい回っているようなぞわっとした感触があり、患部が熱を帯びると痒みは増々高まる。気がつくと指が勝手に動き出す。なにかに体を擦り付ける。搔かずにはいられない。

肌を露出させ、ブツブツとした湿疹を引っ掻くと快感である。バリバリと爪でブツブツをこそぎ落としていると、薄黄色の液体と血が滲みでてくる。

忘れたころに痒みが引き、ヒリヒリと痛くなってくる。掻かなければよかったと後悔しても後の祭りである。我慢できなかった罪悪感と、ぐちゃぐちゃと無残な姿となった皮膚、そして痛みだけが残る。

たかが、胸を虫に数か所食われた程度でケンシロウみたいになったからヤベーよと大事ぶっている奴がいたけど、はっきり言ってお前の湿疹など大したことないから。でも、はやく病院行ったほうがいいとか、酷くならないといいねとか、みんな優しいのである。なのになぜ俺には優しくないのだろう。

喘息の発作が起きていても見た目のインパクトがないため、周囲はヒューヒューうるさいなくらいの認識である。死ぬほど息が苦しくても歩いて病院まで一人で行かなくてはならないし、事実そうしてきた。

息が苦しいのを他人に説明したところで無駄である。経験して初めて辛さを理解できるのである。誰も代わってはくれない。自分だけの苦しみである。

ぱっと見は酷く目に映らない特徴もあって、喘息は周囲の理解を得にくい病気である。なので、だいたい健常者扱いされる。健常者扱いされるが、実際の身体能力は罹患していない人と比べると大きなハンデがある。たとえば、たばこの煙や埃の多い環境にいると具合が悪くなるし、大笑いしたり走ったり重い物を持ち続けると発作が起こるのである。

そして、もっとも大きな特徴は、喘息は甘えだという周囲の認識である。周囲の人々は喘息になるのは気持ちがたるんでいるとか、精神的な甘えであるなど尤もらしい理由を挙げて患者の責任と結論付けるのである。

俺が小学生や中学生だったころは、親をはじめ学校の先生や同級生など周囲の人々で喘息の原因について理解してくれる人は少なかった。健常者が鼻水をだしたり咳をしていると「風邪なら治るまで休め」となるのに、俺が喘息の発作で苦しんでいると「また病気に逃げるのか」と言われていたのである。

 

地獄のマラソン大会

中学のときにマラソン大会があった。運動会や合唱コンクールなど、クラスの団結を学ぶ行事も嫌いであったが、もっとも嫌いだったのはマラソン大会である。

俺は喘息の具合が悪いので走行を免除して見学させてほしいと担任にお願いした。事実、季節の変わり目で毎晩発作に悩まされていた時期だった。

結果はノーであった。理由は、喘息持ちの他の生徒もマラソンに出場するので特別扱いはできないということと、具合が悪くなるのは気の持ちようだからだと言われた。

膝を痛めていると申告した生徒はマラソンを免除されたのに、喘息は免除の理由にならないのである。その理屈なら膝の具合が悪いのは気の持ちようではないのか。

そう反論すると、病気を言い訳にして逃げるのは良くないぞ、と説教された。

もちろん真面目に走ったら発作がひどくなるので押さえて走った。それでもヒューヒュー喘鳴が消えないので辛かった。冷たい空気を吸い込むと肺に痛みが走る。まるでガラスの粉が肺の中で擦れているような痛みだ。気管支は収縮し息が吐けない。胸の上に鉄の塊で重しをしているようだ。腹式呼吸をしていないと息ができないストレスでパニックになりそうだ。

汗で体中が痒くなる。脆弱な体に怒りを覚える。いっそこのまま呼吸が止まってしまいばいい。なんでこんなに軟な体なんだ。死ねばいい。死ねばきっと、無茶を言った担任や、助けてもくれない周りの奴らの責任になる。罪悪感を抱えたまま今後の人生を送って欲しい。でも、そのために俺が死ななくてはならないのは理不尽だと思った。

これが甘えなのか、と思った。あんたたちは喘息じゃないから、こんな苦しくはない。せいぜい息が切れるくらいだろう。なのに、なんの権利があって、俺に「甘えている」などと言えるのだろう。ここまで精神的に追い込まれているのに、なんで気持ちがたるんでいるのだろう。

そんなことばかり考えながら、ひたすら走った。当てつけとばかりに走った。途中で投げ出したりせず、既定の距離である5kmは意地でも走ってやろうと思った。

途中から歩いた。走るのはもう無理だった。いつのまにか肩で呼吸していた。苦しい息を整えようとする。吐き気がこみ上げ、鼻水が溢れて体操着に滴り落ち、心臓の動悸が爆発しそうなほど高まるのを抑えきれなかった。

この場所で倒れたら、バスで点呼したとき俺が居ないのに気がつくだろうか。また面倒臭い奴だと思われるだろうか。周りの奴らも、俺のことを迷惑な存在だと再認識するだけだろうか。それとも心配して探しに来るだろうか。心配というより職務だから探すけど、正直な話、手がかかる問題児だと思うだけで、俺にこんな無理をさせた反省など絶対にしないだろうな。そう思うと、なんで彼らの土俵で相撲を取る真似などしたのだろう。

走り終えバスに戻ったら担任が言った。

「ほら、やればできるじゃないか。できないってのは甘えなんだよ」

始めから最後まで歩けばよかった。要領が悪いな、俺。

無理して走ることなどなかったなと思った。でも、担任の言葉が許せなかった。抗議するには、もっと自分の体を痛めつけて苦しめないといけないと思った。

 

 ここからは、敢えて誤解を恐れず書く。

小学校から高校までほぼ全ての学校生活において、自分が同級生より劣っているなと思っていた。他のみんなのように物事をこなせないからである。体が弱くても勉強ができたり、人望があればいい。俺は勉強はできないし、人望がなかった。だから友達ができない。ぎゃくに人から嫌われるのは得意だった。

アトピー性皮膚炎の同級生が一人いた。手足が棒のように細くて女の子より腕相撲が弱かったと思うが、そいつは勉強ができた。大きな家に住んでいて、おもちゃを沢山もっていた。友達も多くて尊敬されていたように思う。

だから病気は、勉強ができなかったり、友達ができない言い訳にはならないのである。

俺には身体的な病気以外にも、精神的な病気があったのかもしれない。学校の先生はともかく、小児科の医師からも心療内科や精神科の診療を勧められたからである。

精神病扱いされたのはショックだった。受診といっても話をするだけだよと、執拗に勧めてきた時期があったのだが、そのときの俺は受け止めることができなかったのである。

お前は異常だよと言われている気しかしなかったのである。周囲すべてが敵に見えた。

俺のことを異常と決めつけて、精神病院に隔離しようとしているに違いないと思い込んでいたのである。

基地外扱いされたのが、本当にショックだった。精神科に罹っている人は、そういう人達しかいないと思い込んでいたからだ。

俺がどれだけ普通になりたくて、普通になろうと努力しているのか、あんたらは全然分かっていない。その苦労と努力を全く分かろうともせず、俺を無視して精神病と決めつけているとしか思っていなかったのである。

 

運命に対する大きな怒り

運命を司どる神がいるなら、なぜ俺には困難を与えたのだろう。他の奴より不利な要素ばかりじゃないか。なのに特に特典もない。

 

つづく

 

時間がおしてしまった。タイムオーバーである。

ここまで3600文字 3時間所要

続きは明日書く。まだまだ書き足らないぜ。

思っていることを考えながら書くと、スラスラとは書けない。あまり推敲してないが、キーボード操作の間違えと誤変換の多さが目立つ。