文章練習

思いつくままキーボードでカタカタ

自分だけが損をしていると思う感情

昨日の続きである。

なぜ、平等じゃないのだろう。なにも悪いことをしていないのに、なぜ普通じゃないんだろう。この答えが知りたくて仕方がなかった。未だにその答えは見つからない。

運命の神様はイイ仕事をする

昔から運がない人生だった。

つくづく俺は運の無い男だと思ったエピソードを話そう。

小学四年生のころの話である。いまでもあるか知らないが、学級全体の催しで「お楽しみ会」という会が俺が小学生の時代にはあった。クラス全員がティーカップを持参し、予算で購入したお茶とお菓子を楽しんで、各自持ち寄ったプレゼントを交換するのである。プレゼントにはナンバーが振られ、ナンバーと同数のくじを引き当てた者がゲットする仕組みである。

まあ、小学生だからプレゼントといってもせいぜい鉛筆だとかノートである。運が良くても匂いのついた消しゴム程度のものしか当たらない。それでもなにか一つモノが貰えるわけである。

しかし、プレゼントが用意できない家庭もあるので強制ではなかった。プレゼントはモノでなくても良かったのである。肩たたき券的なものも許されていた。当然そういったプレゼントはハズレ扱いである。

 

当日は担任の先生が頑張っていた。何曲も歌をうたったり、学級の楽しかったエピソードを掘り起こして場を盛り上げようと努力していた。普段の先生よりおどけた感じだったので、クラス中がリラックスしたのか、後半の教室はカオスティックな様相であった。

プレゼント交換の時間になった。クラスの皆が一人ずつ番号を呼ばれてプレゼントを受け取る。

「ぼく鉛筆だった。ノートをプレゼントしたから損したなぁ」

「ラッキー!ノートだった」

さまざまな声が上がる。俺は静かに番を待っていた。俺のプレゼントは三菱uniだった。鉛筆の中では高価なほうだ。親の機嫌がいいときに自分用に買ってもらった鉛筆だったがプレゼントに回したのである。

ほとんど最後に俺の番号が呼ばれた。喜び勇んで番号の書いてある紙を先生に渡す。先生は笑顔でプレゼントを渡してくれた。それは一枚の折りたたまれた紙だった。ひょっとしたら、これは肩たたき券の類のモノか?だとしても、仕方がない諦めよう。

「モノがなにか、開けて確かめてごらん」

先生に促されるまま紙を開いて俺は驚いた。紙にはこう書かれていた。

校歌を3番まで歌わせてあげるのがプレゼントです 元気な声で歌いましょう

「このプレゼント要らないです」

俺は先生に言った。

校歌を歌うなんて飛び切りイヤでもないが嬉しくもない。どちらかといえば、罰ゲームの類である。楽しい会で、なんで罰ゲームを受け取らなくてはならないのか意味が分からなかった。みんな、つまらないものにしろプレゼントを受け取っている。俺もつまらないなりに価値のあるものを提供した。

そもそも罰ゲームがあるなんて話は聞いていないし、一人だけ罰ゲームを受けるのは理不尽だと思った。ひょっとしたらクラス全員の陰謀だとすら思った。俺は瞬間的にここまで考えた。ある意味、またかと思った。いつも責められたり怒られたり損するのは俺なんだ。

先生は俺の言葉を無視して言った。

「みんな聞いて!彼のプレゼントは『校歌を歌う』だ。せっかくみんなの前で歌えるんだからチャンスだよな。ほら、歌っていいぞ!はやく!」

教室が爆笑の渦に飲まれた。笑っていないのは俺だけだ。

「うたえ!うたえ!うたえ!」歌えコールが教室に響き渡る。

そうか、これが俺の役割なんだ。分相応でなければならない。高望みしちゃダメなんだ、みんなに笑われるための存在なんだから。運命の神様はちゃんと分かっているんだなあと妙に納得してしまったのである。

 

自分だけが損をしていると思い込む感情

コンビニやスーパーのレジ待ちや行列の類が俺は苦手だ。不愉快な気分になることが多いからである。待ち時間が長いのがイヤなのだが、どうしても並ぶ理由があるなら、まあ仕方がないと納得している。

納得できないのは、タッチの差で割り込まれたり、自分が並ぶ直前に列がいきなり混み合って、そのほんの僅かの遅れのせいで大幅に待ち時間が長くなるときである。さんざん待たされた挙句、自分の後ろに並んだ人がほとんど待たずにレジが空く現象にも苛立ちを覚える。わざわざタッチの差で列が混むように、運命の神がイジワルしているように感じるのである。

自分と比較して、明らかに運が良い人に対して抱く感情は「ずるい」である。ところが運が良かった人は、不正をしていないことが多い。ずるくないのである。

自分だけが損をしているという被害感情は、一体なんであろうか。

いっぽう、自分だけが得をしている状況において、人はどういった感情をもつのであろうか。まず、逆の立場から考えてみたい。

俺は罪悪感を抱く。他の人はわからない。たまたまラッキーだったくらいならツイていたくらいだが、周りの人は酷い目にあっているのに自分だけが得をしていたとしたら、自分はずるいことをしていなくても、なんだか悪いなと思ってしまうのである。

別に、とくにラッキーが欲しいのではなく、いいことがなくても自分だけが損をしたと思わないレベルであってほしいと願うのである。

時折悲劇的なレベルで不運に見舞われる方がいる。本当に運がなかったのだなと同情してしまうし、この程度の不運で文句言っている自分が恥ずかしくなってくるのである。

 

大貧民に弱いタイプ

損、得、運、不運というのは単体でやってくるものではなく、誰かと比較することで感じるものなのだ。

大貧民というトランプゲームがある。初回のみ、手札と場の運および戦略で決するのだが、二回目以降は違う。カード交換があるのだ。カード交換とは、一回目のゲームで決定した階級にあわせて強いカードと弱いカードを交換する。富豪は貧民から強いカードを搾取できるのである。そのため、階級を這い上がるのが難しいシステムとなっている。

平民は、うかうかしていると貧民や大貧民に落ちてしまう。富豪ほどの特権がないからだ。だから、平民階級を守りたい一心で貧民に対して攻撃的になる。徹底して大貧民を叩き、浮かび上がらせず大貧民のままにしておけば自分の階級を守れるからである。

こういった運ゲームに弱いタイプと、いわゆる運がない人は関連性があるように感じている。ものの考え方や頭の使い方などが似ているし、いじられキャラというか、なめられやすいタイプである。

自分の身を守りたい人々は、運の無い人をスケープゴートにするのである。

これはイジメのターゲットにされたくないから、自分もイジメに参加するのに似ている。

 

自分だけが損をしていると思う感情に対し、どう向き合っていけばいいか。

自分だけが損をしていると思い続けていると、人に話しても分かってもらえないと思い込む。鬱屈して、生きているのがしんどくなる。ただ、朝起きて、義務として仕事に出かけ、こなし、帰ってくる。他のことをする気にもならない。部屋を片付ける気にもならず、散らかし放題になる。休みの日は一日中体調が悪くて寝ている。仕事に行くためだけに生きている。仕事は真面目にこなすがミスが多く、いつも叱られている。要領よくできず、いつのまにか雑用を押し付けられ重宝されている。人に必要とされていると感じられる瞬間だけ、生きている実感がある。義務や責任のためだけに仕事をしている。

自ら進んで皆が嫌がる雑用をこなしているから、有難い奴だと思われていると同時にバカにされているのに気がついているが、そういう連中を軽薄で愚かな連中だと見下すことで精神の安定をはかっている。

自分だけが損をしていることに意味や重みをもたせることで、自分自身に言い訳しているのである。

そして、一番重要なのは、自分だけが損をしていると信じているのである。

実は、たいていの人は皆、自分はみんなと比べて損をしていると思っている。

ただ、それを口に出さないだけである。皆、損をしていると思っていることがまちまちなだけで、他人から見たらくだらない悩みでも、本人にとっては重大な悩みなのである。

それに気がつくと、他人に対して寛容になれる。

事情は分からないし、知りたくもないけど、きっとこの人は自分だけ損していると思うようななにかを背負っているのだなと思えるようになる。

 

極端な話をしよう。

ある中学校でクラスの中心的人物A、BとCの三人が、おとなしい同級生のX君を公開処刑したとする。
女子の見てる前で、強引に押さえつけてズボンとパンツを脱がせてフルチンにしたのである。

ドン引きした女子たちの反応を見て、Aたちは爆笑しX君の姿を滑稽だと嘲笑った。

X君は、女子に恥部をみられたショックで学校に来れなくなった。

ABCらは酷いやつらである。だが、Aも実はショックを受けていた。

X君は巨根だったのである。対して、Aのモノは勃起しても小指の第一関節程度だった。イチモツが人より小さいのは自覚しているのでトイレで小便するときには隣から覗かれないよう常に気にしていた。なので、BやCにはバレていないと思っているが、あの情けないXがデカいのに俺様がなんで小さいんだと納得がいかないのである。

Aからすれば、イチモツの大きさこそが悩みであり、自分だけが損をしていると思っていることなのである。X君 からすれば考えられない悩みである。

むしろX君は、クラスの中心的人物として君臨してやりたい放題できるならチンコの大きさなど2cmでもイイくらいに思うかもしれない。

 

悩みは尽きないのである。問題は人と比べて同等だと思えるかだが、誰しもがはかり間違えるからである。だから折り合いをつけて生きているのだが、不満が爆発する人は相当納得していないのである。

 

ここまで3900文字 約3時間所要

考えながら書いている。つまり考えがまとまっていない。書くことがすでに決まっているのなら、ひたすら書くのみである。書くことが決まっておらず、その都度考えているから遅くなる。

書きたいことをまとめつつ、それをどう表現するかが課題である。文章は読みにくく、多義的で、リズムが悪い。我ながら妙に癖のある文章だと思う。

イムリミットなので、きょうはここまで。

明日は気分転換に将棋の話題にしよう。