文章練習

思いつくままキーボードでカタカタ

悪と正義

普段から考えていることを書いてみたい。

悪い 正しい

よく、あいつは悪い奴だとか、あの人は正しいとか言う人がいる。じゃあ、どこが悪いのか、なにが正しいのかと問い詰めると、要領を得ないのである。

なんとなく正しい。なんとなく悪い。なんとなくでは説明になっていないのに断言するのである。言っている本人にもよくわかっていないのである。

 

俺の中では、正しいというのはバランスをとろうと働く心の動きだと思っている。

ぎゃくに、悪とはバランスがとれていない状態を是とする心の動きである。

 

イヤなことをした相手にやり返したいと思う気持ちは正しいと思う。むしろ、やられたのは自分が弱いのだから仕方がないと本気で思っているのは悪だと思う。

やられた以上にやり返すことに気持ち悪さを感じないのは悪である。自分のなかで丁度これくらいが妥当だと思うレベルを罰として与えたいと考えるのが正しいし、健全だと思うのである。

自分より強い人間にやられても仕方がないと考える人間は、逆に言えば自分より弱い人間に何をしてもいいと考えているのである。自分が栄えるためには、なるべく強い相手との争いを避け、弱い人間を食い物にすればいいと思っている。人間の権利は平等だとか思っていない。

俺が言いたいのは、犯罪者=悪人ではないということだ。人を殺したり傷つけたり盗んだりする行為をする人間は犯罪者ではあるが悪人かどうかはまた別だと思っている。

犯罪を犯さなくても悪人は存在するし、正しい人でも犯罪者はいると思っている。

 

天秤は正義の象徴である。つまり正義とは、均衡するにはどうしたらよいかを考えることである。

裁判では、法に照らして裁く。そうでなくてはペナルティを与える根拠がないからである。「なんとなく悪いと思うから死刑にする」では子供の社会である。

いまは犯罪や法について語る気はないので、話を元に戻そう。

 

自分に良くしてくれたからお礼をしたい、あるいは借りを作りたくないからお返しをする。これは正しいと思う。返報性の法則である。自分だけが得をするのに負い目を感じるというのは、つまりはお返しをしてバランスをとろうとしているからである。

相手が勝手にしたことに、お返しなどしなくていいと考える人もいる。ただ乗りをしてもなんとも思わない人もいる。そういう人間が集団の中で嫌われるのは当然である。

フリーライダーは、「私はなにも悪いことはしていない。ただ、テイクはするがギブしていないだけだ」と主張するかもしれない。

あるいは、無形のなにかを与えていると主張するだろう。たとえば、笑顔で気分を良くしてあげた、褒めた、喜んであげたから幸せな気分を提供したなどである。

が、俺に言わせればバランスを取ろうとしていない時点で悪である。

 

ベクトルと量が重要

損害を与えた側と与えられた側、どれだけの損害があったのか。

得した側と与えた側 どれだけの得があったのか。

 

よく、正義も悪もない。自分の正義は相手から見たら悪だ、という。

俺も昔からそう思っていた。というのも、機動戦士ガンダムのオープニングを子供のころに聞いていて、どうも納得できない歌詞があったのである。

「正義の怒りをぶつけろガンダム

なんだよ正義って。連邦軍が正義なのか?それともガンダムが正義なのか?

ジオン軍からすれば、ガンダム白い悪魔だぜ。どちらにも主張がある。正義とか、なんか変じゃないかと、ガキの時分からずっと思っていた。

でも、大抵の人は、自分が正義の側のように話す。あるいは、粋がって自分がワルの側のように話すのである。

つまり、正義と悪は主観であるわけだ。自分からみて相手のほうが悪い、あるいは自分のほうが悪いと判断するのである。

また、よくあるのはクレーマーや僻み根性である。

「自分はこんなに苦労しているのに、あいつはなんで、あんなに物事がうまく進むんだろう。あいつにも地獄の苦しみを味わせてやらないと気が済まない。ズルい。きっとズルをしているに違いない。私が正義の裁きを与えてくれよう。これは天誅だ。」

こんな理由で信じられないような嫌がらせをしてくるヤバい人がいる。だが、いわゆる頭のおかしいひとであっても、方向性と量を勘違いしているだけで、自分の中では正そうと、バランスをとろうとしているわけで、ある意味では筋が通っているのである。

俺がもっとも悪だと思い、近づきたくすらないのは、こういう人ではない。

 

明らかな不公平があるにも関わらず、それに対して怒りを感じない人である。

そういう人は、他人を奈落の底に突き落としても罪悪感を覚えないし、代わりに自分がそういう目にあう覚悟もあるからである。こうした理不尽を受け入れている人が最も悪だし、恐ろしい存在である。

結構普通にいるのである。そういう人が。

みんなの分を横取りしてうまい汁を吸っている奴がいても、へえ、うまくやってるな以上の感想を持たないし、友達が自殺しようが関心を持たないような人である。

支払いをなるべく他人に仕向けて自分の財布は開かない。気が弱いお人好しにタカりまくる。強い立場の人間には逆らわないが、別に忠誠心が高いわけでもない。弱い立場の人間にはトコトン強い。

しかし、人当たりは悪いどころかむしろ良く、いい人そうですらある。話していても、寛容というか、物事にこだわらず感情の起伏が激しくない。穏やかである。人を責めるような口ぶりもない。特徴といえば、人の話をスルーして自分の話しかしない。

なにかを与えても一切返報がなく、むしろ与えれば与えるほど要求するタイプである。

ネズミにミルクを与えたら、お礼に金のありかを教えてくれるどころかチーズをよこせ、と言ってくるのである。

 

自分がされたら嫌なことを相手にもしないという考え方が弱いのが悪の方向性で、因果応報を信じるのが正しい方向性なのかもしれない。

コミュニティでは、集団の一人としての貢献が貴ばれるからである。ギブアンドテイクの精神が必要だからである。フリーライダーを集団から排除するために、あいつは悪だと定義する必要があるのである。

とはいえ、自分だけは特別で、人に非道なふるまいをするくせに、自分だけは酷い扱いを受けないと思っている人もいるが、それは想像力が働いていないだけで、悪とはまた別のような気もする。

なんとなく思っていたことをダーっと書いたので、深く考えていない。

ここまで2600文字 約2時間程度。

毎日書く。