文章練習

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こだわりが強い人は、なぜ思ったように人に動いてもらえないのか

こだわりが強い人は、なぜ思ったように人に動いてもらえないのか
 
それは、当たり前だが人それぞれ違うからだ。同じものを見ても、どう感じるかは人次第で変わってくる。
そもそも、人が自分の指示した通りに動いてくれるということ自体が幻想だ。
 
お互いが人間だから、間違えることもある。
設計図や仕様書通りに仕上げて欲しいと依頼しても、仕上げる側が寸法を勘違いして製作することもある。
しかし、設計図そのものに不備があることに気がついて、適切な寸法を提案する、ということもある。
これが機械と人間の違いだ。信頼関係があればお互いのミスをフォローし、相乗効果で機械より生産性が上がることもあるだろう。想像したり、アイデアを産み出す能力は人間だけのものだ。
 
要望や用途を擦り合わせ、様々な要素を共有して仕事をする。そうしないと、組んでみたものの動かない、といった事故が起こる。
 
また、こだわりの強い人には、独特の攻撃的な物言いの仕方がある。そのような態度が、受注先を萎縮させる、あるいは反発を招き、受注側の心理状態を悪化させる。これもうまくいかない原因だろう。
 
 
こだわりが強い人の心理を説明する。
 
頭を低くして頼んでも、利益を上乗せして頼んでも、誰も満足いく仕事をしてくれない。
いつも、仕事の内容に不備や、こちらの要求と違う部分がある。なぜ、これほど仕事に対して誰もがいい加減なのだろう。
しかも、こちらはどうしても譲れない部分以外は妥協している。ほかは我慢しているのだ。
にも関わらず、誰もがその一点大事な部分を押さえずに仕事をする。
 
なぜ誰もが、こちらの希望を汲み取ることもできず、仕事に落ち度がある、いわば無能なのだろう。
なぜ、こちらの要求する部分だけを完璧に仕上げることができないのだろう。
 
と、このように、人に対して不信感と憤りを常に感じているのだ。つまり、自分を犠牲者だと思っている。
 
だから、自分の正当性を主張し、相手の落ち度を追求することで、問題解決の責任を押し付ける。問題の原因はそちらにあるのだから、真摯に対応すべき、それが筋だと信じている。
 
自分ではアサーティブコミュニケーションを理解したつもりになっているが、実際はわかっていない。
 
筋を通そうとするばかりに、人を傷つけてしまう。
 
コミュニティでは、筋道の正しさより、人間の感情が重いときが多々あることを理解していない。
 

努力の信者

自身の成功を、全て努力によってのみ得たと勘違いしている。
よく天才と言われるが、そうではなく努力をした自分を認めろというわけだ。
私はそのような人を「努力の信者」と呼んでいる。
 
東大を主席で卒業。学生時代に司法試験に合格し官僚となるが、現在は弁護士として働いている才女の文章を先日見かけた。誰が書いたかは重要ではないので伏せるが、概ね大意はこうだ。
 
私は天才ではありません。しかし、経歴は努力でもぎ取ったものであり、それは誰にも負けないと自信を持って言えます。
 
天才でなくても誰にも負けない努力をすれば素晴らしい経歴をもぎ取れるのであれば、報われなかった人は努力不足ということになるし、そもそも本人の持って生まれた特性や環境の影響を無視しているのではないか。
 
たしかに努力は物凄くしたのだろう。それは認めるが、自分の努力だけでここまで結果を出した、そのことを誇りに思うみたいな意見に違和感を覚える。
 
その理由を説明しよう。まず、入試や資格試験のような一定数しか合格しないものであれば、全ての受験生は必死に努力して勉強したと容易に想像できる。その物言いでは合格できないのは努力不足だ、と不合格者を否定していることにならないか。
試験結果は努力ではなく得点の高低を示すものだから「私は学力に恵まれていた」と言うべきだろう。
 
つぎに、環境はどうであったのか。大学に通える程度は金銭的余裕のあるご家庭であったと思われる。もし、貧困家庭に育ち、生活のためにフルタイムで働いていたのなら、東大に合格できるレベルの勉強をする時間は取れたのだろうか。
学問に打ち込める環境は大きなアドバンテージである。親の財力や学問に対する理解度などが必要だからだ。
また、本人に生活の質を大きく下げる病気や知的、精神障害はあったのか。あれば試験に合格するどころか、学問すらできないだろう。
 
つまり、様々な要因に恵まれていた、だから努力ができたのである。そもそも、自身が頑張った、努力したということは人に吹いて回ることではない。周りがみて思うことである。
素晴らしい経歴を手に入れられた環境と運に感謝する謙虚な姿勢が肝心だと思う。
 
誰もみな得意不得意がある。自分が苦手なことが得意な人もいる。努力したから今があるというのは真実だが、成果を上げられたのは努力のみではないのも真実なのだ。
 

メッキが剥げる、魔法が解ける

尊敬していた人の言動は、すべて正しいと鵜呑みにしていた。

 

だけど、自分で考え始め、誰の言うことも盲目的に信じないことが大切だと気がついたら、尊敬していた人の言動に違和感を覚えるようになった。

 

永遠の輝きと、何者をも虜にする魔力を持つそれは黄金に例えられる。

また、私の中を占めるそれは蜃気楼のようであり、御神体であった。

だから、ところどころ剥げた金メッキに気がついても気がつかないフリをしていた。

それは全てにおいて正しい。そう信じて疑わなかった。

そして、その魔法をかけたのは他ならぬ自分自身だ。

その人の本質を知ろうとせず、都合の良い解釈をすることで自身を守っていた。

 

ある日、決して超えることのできない山を登っているはずなのに、全てを見渡せる見晴らしの良い場所に辿り着いた。

そして、自身で思考することを恐れず、その人の欠点すらも家を支える柱の一本と思えばいい、そう気がついた。