文章練習

思いつくままキーボードでカタカタ

文章練習

文章練習

まずは文章を綴る練習である。試みようとするのは推敲をほぼしないことである。

いかに少ない時間で、それなりの文章を書きあげるか。その能力を鍛えたいのである。

まあまず、こんなクソみたいなブログは誰も見に来ないであろうから、それほどの迷惑もかからないだろう。世の中に発表しないことにはゼロ、つまり書いていないも同様であるという解釈と、やはり実践というか実戦のなかでこそ育まれる経験と勘を手に入れたいという思いから、読者がいようがいまいが構わず書くのである。むしろ読んで欲しくない。このような矛盾した思いをもって、この文章をキーボードで打ち込んでいる。

 

もう誰だか忘れたが、とにかく明治か大正時代の小説家の話である。火鉢にあたり暖をとり煙管をふかして、これから書く文章の構想を練る。ある程度かたまったら、おもむろに万年筆で原稿用紙を埋めていく。そのあと間違いや言葉の言い回しを直してから、清書をする。それは奥方だか妹だかの仕事であった。

昔の人はガチである。一発勝負。ワープロもPCもない時代である。原稿用紙をペンとインクでひたすら埋めていく。間違いがあってもデリートキーで消すなんてできないのだ。自動変換もしてくれない。漢字や熟語を書くときは、字引や自身の記憶に頼るしかない。にも関わらず、後世まで残るモノを書き上げていた。

そもそも推敲なんて、素人の文章にそこまで必要かよ、と思う。推敲、つまり推すのか敲(たた)くのか、唐代の詩人が悩んだ故事に因んでいるのは有名な話だが、どちらでもそれなりにいい詩だったと思う。敲く、のほうが音が響いて風情がある、なんてオチになってはいるが、一般的な文章にそこまで完成度を求めていないだろう。我々一般ピーポーは、それなりに人に伝わる文章をサクッと書きあげるスキルがあればいい。

 

俺は考えすぎてしまって、文章が捗らないタイプである。この文章ねじれているな、とか直しをいれながら書く。それではダメだ、と気が付いた。というか知っていたのだが、直せなかった。それには幾つかの理由があって、その理由をひとつひとつ掘り下げてゆき、書けるようになることが本ブログの目的である。

過去に自分の文章を、人格も含めて徹底的に否定された経験がある。この件については、近いうちに絶対に書いてやろうと思っている。この事件以来、自分の本心や思っていることを恥ずかしいことと思うようになり、読み手が望むであろう展開でしかモノを書くことができなくなった。読み手の顔色を窺いビクビクしながら書くので迫力がないから主張がない。

もう一つは、ねじれた文章を読んでいるとツッコミたくなるタイプである。意味はわかるが、日本語としておかしい文章を読むと気になる。そのてん新聞は、センテンスの情報が盛りだくさんなのに文章がねじれていないのは流石書くプロだと思う。

目標は、手が勝手に思考をトレースして文章化するレベルであるが、とにかく思っていることを綴れるようになりたい。弱気になって、なんども文章を直して、ライン一つ送るのにも時間をかけている自分を変えたい。

 

知っていること以上のことは書けない

かといって、なんでも書けるわけではない。知っていることについては詳しく書くことができるが、知らないことに関しては調べながらでないと書けないし、理解していないことにかんして書くのは相当難しい。理解していないと言い換えることができない。誰にツッコまれてもセーフでいたいのなら、一字一句違えずに教科書通りの文章を書くしかない。しかしそれは自分の言葉ではない。

普段から考えていることや、よく知っていることに関してはスラスラと書ける。あたりまえだ。背伸びをせず、知っている範囲のことを書いていくしかない。俺は、知っていることを書く=その知識が限界 と考えていた。底を知られてバカにされたくないから、あえて語らない姿勢を貫いてきた。話さないことで、自分の中身が空っぽなのがバレないようにしていた。ボロがでないように、あえて曖昧にしてきた。

たとえば、本の感想をブログに書くとする。本音の意見を書くと、「その程度しか読み解けていない」と批判されるのが恐ろしかった。かといって、それなり読み込んだ人を唸らせるような感想は書けない。なので、識者がかいた批評を読んで、それの一部を自分の意見のように語ったこともあったが、結局深いところまでは話せない。自分の本当の意見ではないからである。

もう、そのようなやりとりに疲れてしまった。へんに恰好つけずに素の自分のままで、おもに読書感想文と、最近はじめた将棋について文章を綴ろうと思う。

 

なにを書いてもいいが、デマの拡散と誹謗中傷だけは勘弁な

このブログを再開するにあたって、最低限の決まりだけは守るつもりだ。

デマの拡散と誹謗中傷だ。

事実と反することを拡散するのは、たとえ悪意がなくとも許されることではない。

事実と意見は区別して書く。これは大事なことなのにも関わらず守られていないと思う。たとえば歴史の判っていない部分については、自身の考えに基づいた創作はアリであるが、それを事実のように書くのはアウトだ。このブログでは、おもに自身の考えや、それに基づいた仮説などを綴るつもりである。

誹謗中傷。行動や考え方に対して批判するのは構わないが、人格の否定はしてはならない。人の悪口ばかりの文章など読んでいても面白くない。たとえ事実だとしてもである。

 

さて、なんとなく書きたいことも書いたし、いったん筆を置くことにする。

ここまで約一時間かかった。キーボードのブラインドタッチの精度と漢字変換の精度が上がれば、もう少し入力が早くなると思うし、ミスタッチが減れば倍の効率になる手ごたえを感じた。考えながら打ち込んでいるので、ときどき手が止まる。

いまググってみたら、一時間平均目安で800~1000文字なので、遅いわけではなさそうである。問題は内容があるかないか。内容がピーマンのようにスカスカの文章なら誰でも書ける。ネットで読んだ記事によると、あるラノベなどは擬音だけで2ページ以上使っているようである。これが行数稼ぎってやつか。ラノベ読まんから知らんけど。