文章練習

思いつくままキーボードでカタカタ

大人になれば強くなれると思っていた

カタカタの時間である。

引き続き、弱者について考えてみよう。

 

子供は弱者として守られるべき存在であるが、これから俺が多感な思春期に考えていたことを述べたい。

 

早く成人して、大人としての権利を行使したいと考えていた。

なぜかというと、子供に許された権利は限られていたからである。仮に結婚したくてもできないし、できたとしても親の承諾が必要なのである。ローンを組みたくても同様である。

お前は面倒を見てもらっている身分なのだから、一人前に権利を主張するな、義務を果たせと大人たちは強制する。社会に守られているのが重荷に感じていた。

未成年が家出をしても、警察に職務質問されたら連れ戻されるだけである。家を借りることもできない。何一つ、自分だけの意志で決めることなどできないのである。

環境を変えて一からやり直したいと思っても、自分の一存では住む場所も、関わる社会も変えることなどできないのである。

未成年者が事件を起こしたら少年Aと報道され、親が民事的責任を問われることになる。

それを弱者の強みととる人もいるようだが、俺は自分で責任をとれないからこそ事件を起こすべきではないと考えた。自分のケツを自分で拭けるように早くなりたかった。

一人前の国民としての権利を得たら、義務さえ果たせば、あとは自由にやれる。そう信じていたのである。

日々の生活に息苦しさを覚えていた。早く大人になって働きたい。そればかり考えていた。俺にとって、独立することが強さだったのである。

自分の意志を貫くには、人の助けや情けにすがるわけにはいかなかった。

自身の倫理観と実力のみを頼り、強く生きていきたいと考えた。

良い人もいるが、悪い人間のほうが目立って多いと思っていた。なぜなら、何の物理的な得もないのに悪意を振りまく連中を目にする機会が多かったからである。

自分を曲げずに生きるのは難しい。自分がやられたら嫌なことを努めて他人にしないようにしながら、悪意をもった連中のいる社会を生きなくてはならないからである。

残念なことに、実力が伴わないと節操を貫けないのである。

信念を曲げずに人生を送るのは、言い換えるなら自分自身を縛る考え方である。ブレない強みが弱点になる。

自身に強みがなくても、カメレオンのように色を変えて強者におもねる生き方を恥と思わないのなら、悪意ともうまくやっていけるのだろう。

ベタだが北斗の拳という漫画にたとえると、自分の信じる正義を貫くには物理的な強さが必要なのである。世紀末の荒廃した社会では、食料の奪い合いはもちろん、気まぐれで息をするように人を殺すのである。そんな社会でキレイごとを言っても瞬殺されて口がきけなくなるだけである。いじめの手先は北斗の拳の雑魚と一緒で、ボスの顔色ばかりを窺っている。お前はいじめられてないと思っているだろうが、ある意味いじめを受けているのに早く気がつけよ。

ボスの太鼓持ちになるのだけはプライドが許さなかった。まだ、いじめられるほうがマシだと思った。いじめの手先に嘲りを受けようが、憐れむ感情しか生まれない。

殺人拳法の使い手が、みなトキのような人格者だったら問題ないのだが、多くの強者は悪人である。悪を咎めるには圧倒的な力が必要なのである。

なのに俺にはその力がない。なぜか嫌な奴に限って喧嘩が強いし、いじわるな奴に限って勉強ができる。不思議なことに弱いものいじめをしている奴が先生に認められていてクラスの中心にいる。トキのように実力を兼ね備えた人格者はめったにいなかった。

先生はクラス全体を把握してるつもりだが、真実をなにも知らないので滑稽である。

家庭でも学校でも独りだった俺は、いつも不公平さや、自身が必要としている力と現実のギャップに悩んでいた。 

自分がまぎれもない弱者であり、それを認めつつも受け入れることができず苦しんでいたのである。

早く大人になって、真っ当な手段で金を稼ぎたい。学校で粋がっている連中を見返してやりたい。何の根拠もなく、社会に出さえすれば成功すると信じていた。

 

1600文字 2時間所要

やはり2時間程度はかかる。推敲はなるべくせず、古い記憶を呼び起こし、考えながら書いている。

眠気と闘いながら、ニュアンスが伝わる言葉を選び、リズムよく,ときには韻を踏むように、ときには詩のような表現を探しつつ、思ったように打ち込めないキーボードと格闘している。