文章練習

思いつくままキーボードでカタカタ

自分語りが苦手な人

カタカタの時間である。

今回は趣向を変えて、制限時間を設けることにした。40分である。

タイマーは既に動き始めている。

 

今日のテーマは、「自分語りが苦手な人」である。

あなたの周りに、自分の感情だとか過去の話をしたがらない人はいないだろうか。

過去に背負い込んだものがあったり、内気で人との交流が苦手だったりと理由は考えれば想像はつくのだが、少数派なのは確かである。

かくいう俺も、自分語りが苦手な人種である。

頭の中でもう一人の自分と饒舌に話しているので、たまにポロっと口にだすことはある。しまった、言い訳するのが面倒だなあと思いながら、その場を取り繕うのである。

意見を求められても積極的に話さないので、周りからはバカな奴だとか、なにも考えていない奴だと思われているかもしれない。

ダミーの意見や感情があり、本心を吐露するのには抵抗がある。素直な感情を伝えるのが苦手である。

自分がベラベラと得意げに話している姿をメタ視点で眺めたときに、恥ずかしさのあまり自分に腹が立つのである。鏡の中の自分を殴り、記憶から消し去りたい。そう思うのである。

他人に放った言葉が山彦のように跳ね返り、時間差で追いかけてきて心を蝕むから、苦しむ原因を作りたくない一心で「話したくない」と自己暗示をかけている。

なのに、無言に耐えられない。攻めには受けられるが、相手が受けだとこちらから動いてしまうサービス精神があって、話したくないのにも関わらず義務感をもって話しかけるのである。話したくないのに、自分から勝手に話しかけて疲れるのでは世話がない。

なるべく簡潔に済ましたいのだが、相手がわの納得感を気にするあまり、言い訳じみたことや謝罪の言葉を述べてしまう。話す前には、余計なことを言わないようにと念じているのだが、相手の顔色を窺ってしまう。

相手の機嫌と自分の話す内容を強く結びつけてしまうのである。その自身の弱点にとっくに気がついているのに克服できないから、せめて話す機会を減らそうと努力している。

言葉数少なく、話したくないときに無言を貫ける人が羨ましい。

 

相手の話を聞いているのは楽である。ラジオを聞いているようなもので、一方通行であれば返事もせず済むからである。

興味ないからと、ラジオを消すように無視するのはマナー違反だから、ある程度は真面目に聞かなくてはならない苦痛はある。楽しい話なら聞いていたいが、どちらにしても人の話を聞き続けるのは疲れるものである。

その苦痛を他人に与えたくない気持ちもある。俺に興味をもって話を聞きたい人間もいるだろうが、話したところでストレス発散にはならない。書くほうが発散になる。

それに文章なら、いやになれば読むのを止めれば済む。ところが、話しはつまらないからと途中で聞くのを止めるわけにいかないから厄介である。

1100文字 40分所要。

手や足を動かしながら自問自答している時間が好きである。

ラジオなどの一方通行のコンテンツも好きである。

嫌いじゃないけど苦手なのはコミュニケーションである。相手がいると思うと考えすぎて疲れるからである。一人の時間がないと、たぶん死ぬ。