文章練習

思いつくままキーボードでカタカタ

いじめで暴力をふるうタイプはどんな人か

今日も思いつくままキーボードをカタカタしよう。

このブログの考えをハッキリと宣言しておこう。

きちんとした結論を出す必要もないし、根拠を示す必要性もない。言いたい放題のブログである。

デマを拡散するつもりは一切ない。このブログの記事をどう捉えるかは読者のあなた次第である。

思索を文章としてアウトプットするのが目的だから、文章の内容については最低限の刑事的、民事的な責任は持つが、正確さについては保証しない。以上ご承諾のうえ閲覧願いたい。

 

今回考えるのはいじめの暴力である。

前回にもいじめについて考えたが、いじめといっても色々ある。今日考えたいのは、全員でシカトするとか物を隠すというレベルではなく、暴力について考えてみる。

暴力を受ける。心身ともに苦痛である。暴力を受けた体の痛みでめそめそするのではない。屈辱で泣くのである。

暴力を振るうタイプ

いじめで暴力というと、大したことのないような気がする人も少なくない。しかし、暴力とはプリミティブなパワーであり、ある程度成熟した現代の社会においては安易な行使を許されないのである。暴力は犯罪である。ただ、「いじめ」においては暴力が影で行われることが多く、顕在化しにくいため対処が難しいのである。

人をぶん殴ったら警察に捕まって刑務所に入るかもしれない。殴った相手の身内から復讐されるかもしれない。暴力を振るう前に、そこまで考えて欲しいものである。

自分の行動が暴力だと気がついていない人もいる。早く気がつかないと身を滅ぼす原因となる。

いじめで暴力を振るうタイプは大きく分けて二種類である。

軽い知的障害があるタイプ

頭は切れるが懲りないタイプ

前者は後先考える想像力がない結果、恐怖心が少ないタイプだと考えられる。なぜなら、喧嘩を吹っ掛ける相手の能力を把握するまえに殴りかかるからである。

自分より喧嘩が強い相手だったら返り討ちに合うかもしれない。その想像ができないのである。

相手が強くて皆の前で無様に敗北したら、他の連中にナメられてしまうリスクがある。

そいつがとんでもない悪党だったら、誰も見ていない場所なら有り金全部奪われた挙句に殺されるかもしれない。物事を深く考える慎重な人間だったら、そこまで考えるだろう。

だから、普通はムカついたくらいで他人を殴らない。リスクがあるからだ。

考えるより先に手が出るのは、ムカつきを解消するには殴るのがシンプルな解決方法だからだし、殴ったらどうなるのかを想像できないからである。

気に入らない奴や弱そうな奴をぶん殴ると泣くのが面白いしスッキリする。

深く考えずにぶん殴るから、その場の勢いで勝つことが多い。一種のハッタリである。上手くいくうちに、ひょっとして俺は喧嘩が強いのではと勘違いして、そのように振舞うようになる。

たまに、ぶん殴る相手を間違えて返り討ちにある場合もある。強い相手に何度も負けると服従するようになる。彼らは、ハッタリの通用しないガチで強い相手には頭を押さえつけられる傾向がある。

以前本で読んだが、暴力で少年院に入った少年を調べたら軽度の知的障害がある人が多いそうである。とりあえず揉めたらぶん殴る。ムカついたらぶん殴る。金が欲しければ暴力で脅かす。それで割と問題が解決するから、深く考えたりせず暴力で物事を解決する方法に慣れてしまったのではないだろうか。

 

一方で、後者のように頭が切れるが、懲りずに暴力トラブルを起こす者もいる。

知的な問題はないのに同じ失敗を繰り返すのである。

その現象を説明するのにぴったりな、とんでもないワルが主人公の漫画がある。梶原一騎原作の「人間凶器」という漫画である。

主人公は暴力で人を支配しようとするが、より強い者にやられてしまう。

ならば権謀術数をもって勝とうとするが、それでもやられてしまう。

上には上がいるのである。

全ての人間は利己的だ、だから自利を貫くには最強でなければならないというのが主人公の持論である。

主人公は年少あがりのチンピラなのだが、悪魔のように頭が切れ、数か国語を自在に操り次々と犯罪を計画し実行する。さらにイケメンで巨根の持ち主でスケコマシの才能があり、そして最も重要なのは空手の達人なのである。

頭脳、色、強さの全てを併せ持ったスーパーマンなのである。

だが、邪悪な心を持っているが故に敵が多い。古巣の空手団体、ヤクザ、マフィア、FBIから狙われ続け、世界を転々とする。単行本一巻につき一回は殺される一歩手前まで追い詰められて恐怖のあまりションベンを漏らすシーンがあるほどだ。

人間凶器は敵の強さを客観的に把握できている。だから強い敵とはまともに戦わない。罠を仕掛けるなど卑怯な手を使う。自分がやられるはずがないと根拠なく信じるタイプではないのである。

それでも毎回死にそうな目にあうのは、彼が懲りないからである。頭の悪さとは違う、ネガティブな予想力のなさからくる恐怖心の無さである。彼は幾度となく危ない橋を渡る。状況がリアルにヤバくなってくるまで、恐怖心が全くないのである。

 

脳の偏桃体とか前頭葉とかの話になると、そもそも俺は専門家ではないし、深い理解をしていない。なので、学術的な根拠を示すものは何一つないが、ネガティブな予想力のなさからくる制裁への恐怖心の無さがいじめで暴力を振るう人間の傾向に見られると指摘しておく。

余談だが、とび職や大工など高所で作業する職人たちは、ある程度高所に恐怖心があるほうが向いているそうである。

高所に恐怖心が全くないと無理な作業をして落下事故を起こすからである。

適度なビビりが入ってこそ、安全なのである。

 

約2200文字 二時間半所要

書きたいことの半分も書いていないが、ここで止めておく。

また何度か書いてみたいテーマではある。いじめについて学術的な研究をしているわけでも、テーマに関する著作を読んだわけでもないので見当外れな内容かもしれないし、一部差別的な表現もあり、マズイかなと考えつつもアップした。

暴力だけは許せない。無視や物を隠すのも論外だが、まだかわいいものである。

人間の尊厳を奪う野蛮な行為である。

なにも考えてないヤンキーは行動力がある。考えすぎるタイプは暴力のリスクを考えるから安易に暴力を振るわない。たとえ喧嘩が強かったとしてもである。

どうも社会では、行動力があるほうが上だとか、深く考えすぎるより動け的な意見が多い。ヤンキーは社会に出ると通用するとか、うじうじ悩んでるだけで行動できないからいじめられるなど、適当なことを言っている人が多いなと思うのである。

 

ボコスカウォーズというクソゲーがある。

とにかく敵に味方の兵士をぶつける。勝ち負けは時の運だ。運よく何度か勝つと出世する。それでも運が悪いとやられてしまう。確かに考えても仕方がない場合もあって、そんなときは運を天に任せるしかない。

だが、時の運に全てを委ね、自力で考えないのはアホである。行動力の高さはメリットだけではないのである。