文章練習

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お人好しとは何なのか

お人好しの特性を考える

昨日の記事に、お人好しであり続けると書いた。

自分の特性と違うことをしても苦痛なだけだし、それならむしろ受け入れて生きていくほうが楽であるし幸せだと思う。

では、お人好しとは何なのか。自分自身をモデルに説明してみたい。

 

俺の考えでは、お人好しとは持って生まれた特性で、誤解を恐れず言うと障害とはとらえられていないが、それに近い特性である。

知的障害がある人に対し、騙して仕事を押し付けるのは許されない。これは世間の人は誰でもそう認識している。

しかし、知的に障害はないものの、どうしても他人の頼みを断れないタイプの人に対しては、押し付けた側ではなく断らない側が悪いと世間では判断する。

仕事を押し付けるのは不誠実な行いなのに、対象が判断能力に欠けているかどうかで善悪の認識の違いがある。

イヤといえないお人好しは、不誠実な人々に搾取されても仕方がないと世間に認識されている。自分の身は自分で守れと。誰からも保護されていない存在なのである。

 

自身の感覚と他人の感覚の乖離

自分の持って生まれた特性が、世間の一般的な感覚とマッチしていない。それに気がつくまでは苦しいし、気がついても受け入れるまでには時間がかかる。

子供のころは、他人も自分と同じ感覚だろうと考える。なのに、他人がときおり非道な選択をするからショックを受ける。それが続くうちに、大体の人は実はお人好しではないのに気がつく。

自分は他利的で寛容なのに対し、他人は甘くない。利己的だし、隙あらばミスを咎めてくる。

幼少時からこういった経験を繰り返すので、他人への恐れ,不信と自罰的な態度を身につけるようになる。

 

以前、世の中は鬼のように厳しいなと感じた出来事がある。ジェイコム株大量誤発注事件である。ジェイコム株をみずほ証券が誤注文したのだが、どう考えてもミスとしか思えない注文なのに大事件になった。

自分の感覚では、そもそもミスだから無効だろうと思う。しかし、人のミスに容赦なくつけこんで他人に大損させて、自分が大儲けするのは法的に問題はなく、火事場泥棒的に利益を上げた証券会社や個人投資家のすべてが利益を自主返還したわけではないのである。結局、東証みずほ証券のどちらが責任をとるべきか水掛け論になり裁判で終わったのだが、本質的には「それ入力間違ってますよ」の一言で済む話だった。

 

世間は甘くない。世間の皆が自分と同じような考えの持ち主だったら特段なんてことのない話も大事件になってしまうのである。

渡る世間は鬼ばかり

人を見たら泥棒と思え。

そんな諺ばかりが頭を過るようになる。

絶対にミスがあってはならない。わずかな隙をついてきてケツの毛まで抜かれる。物事は慎重になるべきだ。いざとなったら誰も助けてくれない。弱肉強食の世界である。虎視眈々と獲物を狙っているのである。

親切に人助けをしても、わずかでも落ち度があれば逆に訴えられる時代である。

善きサマリア人の法という救助者の責任を問わない法律が海外では整備されているが、依然として日本では立法化されていない。

お人好しはリスクに敏感なので、押し付けられない限り際どい状況を避ける傾向にある。

 

お人好しというと何も考えていないバカだと思っている人が多い

しかし、何も考えていないのではなく、ただ単に口にしないだけであって、常々搾取されている経験から、実は社会に対しネガティブな感情を常に抱いているのである。

 

お人好しと優しい人の違い

似て非なるものである。優しい人は愛着ある人に対し思いやりのある行動をする。

とくに優しい人は愛着を持つ人の範囲が広かったり深かったりする。

しかし、愛着をもたないどうでもいい人に対しては優しくない。

目の前の敵を倒し、財を奪い取って仲間に与える人。それが優しい人である

いっぽうお人好しは、やられてしまった敵がかわいそうだと同情してしまうのである。

だから、ほとんどの人は優しい人を頼もしいと思っている。いっぽう、お人好しを悪い奴ではないと思っているが感覚のズレを理解できないから、一言でいうとバカだと思っている。

 

お人好しはバカなのか

お人好しが自身にとって不利な選択をしたとき、知的に問題が無い人の自由意志と捉えるのなら、一般的な解釈では、ただ単に損得勘定に疎いと考えるのが普通である。選んだのは自己責任であり、断らないのが悪いのである。

そういう人を世間ではバカと呼称する。

たとえ話をしよう。

目の前に二人前のホールケーキがある。これを半分に切って二人で分けるとする。とはいえ、完全に等分するのは難しく必ず偏りが発生する。

なので、切った人は選べないと予め決めごとすると公平になる算段が高い。極端に大きさが違うと自分が損をするからである。なるべく等分になるように切ろうとするわけである。選ぶ側は、いかに大きなほうを選ぶかを考える。

これが一般的な感覚なのだが、お人好しの感覚は異なっている。わざと小さな方を選ぼうとするのである。

大きな方を選んだら相手に悪いな、かわいそうだなと思ってしまうのである。お人好しには、色んなことに気がついてしまうがゆえに考えすぎてしまう神経質な面がある。

敢えて恩を着せるために、わざと小さな方を選びとる人もいるが、お人好しはそういう計算なしに小さい方を選ぶのである。

これはある意味、異常である。

初めて会った人の場合、第一印象だとお人好しは悪くないし、むしろ好感をもたれる場合が多い。しかし、二度三度とお人好し行動が続くと、判断能力に乏しいバカだと認識されるようになり、所謂なめた行動をとられるようになる。

お人好しは自分の扱いに憤慨するが、形式的にでもお礼を言われたり感謝の意を述べられると、それ以上追及できなくなる。

利己的な人間から見ると非常に扱いやすい特性なので、搾取の対象としてターゲットにされやすい。

 

お人好しは自罰的である

悪気なく人を傷つけてしまった経験から、余計なことを口にしないよう警戒している。

自分と相手、どちらかが損をしなくてはならない場合、自分が損をするのを選ぶ。

ごまかしには気がついているが、わざと騙される場合がある。相手をやり込めたらかわいそうなので損害を受けない範囲なら騙された風を装うことがある。

欲がないわけではないが、平等、公平にこだわる。相手の立場を考えるので、自分だけが得をする状況に罪悪感を覚える。

自分の好意や無知につけこんで騙そうとする相手に怒りを感じることもあるが、ターゲットにされるように振舞っていた自分自身も悪いと考える。

 

以上の事柄から、お人好しは世間に必要だが、決して報われることはなく理解もされ難い。利己的でないので人に恨まれないのだが、利他的過ぎてなめられるし、搾取の対象にされやすい面がある。

 

 

ざっと2600文字 二時間半所要

推敲はなるべくせず、ノートのメモを参考に構成した。

お人好しとは、しばしばネガティブな意味で使うワードである。

「あなたはお人好しですね」は褒め言葉ではない。

私にとっては都合のよい、ありがたいバカですよね、という意味である。

可愛がっていた部下に裏切られた人への慰めに使う場合はある。とんでもない悪人だと知っていたのに良くしてあげていたと強調したいためにである。

「あの野郎、社長のお人が好いのにつけこみやがって。散々面倒見てもらったのに後ろ足で砂かける真似しやがって」

などと使う。そうすれば社長の管理不行き届きではなく、部下の性質が悪かったという話になるからである。

他人の心の機微を見抜いて、相手が言ってもらいたいことを言ってあげようとするサービス精神があるのもお人好しの特徴である。