文章練習

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定跡を無視した将棋は通用するか

さて、今日は久しぶりに将棋の話である。

最近思うことがある。

定跡を無視した将棋は通用するのかという疑問である。

本やネットで研究せず、すべてが独学独自の戦法、つまり序盤からの力将棋である。

剣術でいうところの我流である。さらに時代物っぽく言えば「膂力に頼った獣の剣」である。俺の予想では、プロには通用しないが割とアマチュア高段者でもやられる可能性があると思っている。裏付けとしては頼りないが、以前読んだ「投了すっか」という奨励会員が主人公の漫画でそういう回があったのである。「投了すっか」は作中の棋譜が実戦さながらの作品である。

その回では、将棋道場で真剣師のような風貌の男に奨励会二段の小学生が負けるのである。小学生で奨励会二段なのでかなり強いはずなのに、である。この真剣師風の男は定跡を無視した滅茶苦茶な手を指すのだが、奨励会員を含めた道場最強のメンツたちでも歯が立たないほど強いのである。この道場には強い奴はいねえのかと挑発され、このままなめられっ放しじゃいけねえと、主人公が道場の威信をかけて戦うのである。

 

互いに居玉のまま囲いもせず攻め合う展開だったと思う。確か、最終局面は真剣師が67角打で、89角成と桂を取られると67桂打で主人公の王が詰む状態である。まるで将棋のルールを知ってるだけの初心者にありがちな攻めオンリーの局面である。

もちろん主人公が勝つのだが、なかなかスリリングな将棋であった。真剣師は、ただ脂っこい将棋が指したかっただけだと言う。悪い奴ではなく、ギャンブル漫画のような展開にはならないのである。

 

もう何年も前の話だが、知り合いのご隠居が公民館で将棋を指しているという話を聞いた。結局一度も対局することなく亡くなられたので、ご隠居がどんな将棋を指したか知らない。

伝聞では強かったらしいが、どの程度か知らない。なので想像するしかないのだが、その人は本を読んだりネットで調べたりするタイプではなかったのと、オセロも強かったらしいので、論理的思考能力が高い人だったと思われる。 

おそらく我流で強かったのだろう。定跡を自分で編み出していたのかもしれない。対局する相手がいつものメンバーだったからパターン化していたのかもしれない。

 

俺自身の我流話をすると、定跡の重要さを知ったキッカケは角換わりの駒組みである。

ぴよ将棋は角換わりが多い。僅かでも自陣に打ち込まれる隙があると崩壊するので、駒の配置は考えなくてはならない。28に飛車がいるとき48金だと、銀の交換をした後に39銀と割打ちをくらうのである。なので58金にする。48金型にしたいなら、桂馬を跳ねて29飛車とする。これは棋書ではなく、実戦で角や銀を打ち込まれた経験で自ら考え対策したのである。その結果が誰もが知る常識だったとしても、自力で気が付いたのは収穫である。棋書を読んだだけに比べ、はるかに理解度が高いからである。

角換わりが途中までプロの棋譜と同じ進行だったのを知って嬉しかった。定跡はある局面において対策に次ぐ対策を施した結果の進行だと確信した出来事である。

いろいろ考えた。後手のとき、横歩取りを拒否するにはどうしたらいいかとか、角換わりを拒否するならどうしたらいいかとかである。

横歩取りも角換わりも34歩を突かなければ拒否できる。後手で居飛車なら84歩85歩と飛車先を伸ばせばいいのである。これらは常識なのだろうが、いちおう自分で考えた。

居飛車振り飛車かも重要だが、角道を止めるか開けるかも重要だ。角道を止めると穏やかな進行だが、攻撃力が低くなる。角道を開けると攻撃力は高いが、スリリングな進行である。序盤は角の使い方が肝だと思う。

そう思って考えたのが、88角(居角)のまま矢倉を組んで46歩と突いてから47銀と上がって37の桂頭の歩を守りつつ、77銀を66、55に進める戦法だ。角の効きを活かして中央を制圧するのが目的で、いきなり角交換をされずに済むのがいいが、王の囲いが弱いのが欠点である。後に急戦矢倉という戦法がそれに近いということが分かった。

 

事前の研究もなく、完全な力将棋だけで一局指しきるのは以外と難しいのである。全く経験のないことを想像するのと似ていると思う。定跡から派生する変化には詳しくても、普通指さない手を指されると先を知らない展開になる。そうなると、けっこう強い人でもどう指したらいいかパ二クって間違えてしまうと思う。

意味不明な手を指されると、どんな意味があるのか考えすぎてしまい自爆するのである。44歩パックマンのような手は、知らないと受け損なって敗勢に追い込まれることもある。よく知らないが、初手に端歩を突いたり、角頭を突いたりする戦法もあるらしい。嵌め技のようなものを予め知っておくのは大切である。

 

定跡を学んでない人と対局すると意外に苦戦するかもしれない。こう指したら相手はこう指してくるだろうという思い込みがあるからである。

定跡外の手順は悪くなるはずだから、定跡を深く理解していればとがめられるはずなのだが、本当はどうなのか。そのときは悪手だったとしても、定跡から外れて数手後に自分が悪くなる変化がある気がして不安になると思う。

そこそこ強い人同士だと、お互いが定跡を知っている前提で将棋が指せる。ここはこうでしょうというお約束を踏まえた勝負になる。上級者になると互いの信頼がある。

そうでないと、棋書に書いてある変化など意味がなくなってしまう。無茶苦茶されたら棋譜を汚された気がするだろう。

もちろん、プロも意図的にわけのわからない展開にもちこむことも多いがそれは作戦である。

 

ここまで2200文字 所要二時間程度

やはり、詳しくないことは書けない。

ここのところ記事の執筆に時間をかけすぎてしまい、将棋の練習時間が少なくなっている。

俺はたいして才能がない。だから焦っても無駄だ。一時間勉強したところで強くなるわけじゃない。やった分確実にリターンがあると思いたくなるが、そんなことはないのである。だけど、毎日少しずつ勉強すると確実に強くなっている。数か月通して振り返ると成長を確認できる。

つまり、腰を据えてじっくり取り組もうということである。