やりたいことを独学で伸ばすにはどうしたらいいか
あれもやりたい。これもやりたい。
やりたいことだらけで意欲は素晴らしいが、やる時間がない。
光陰矢の如し。年齢を経るにつれ、残された時間は少ないと実感するのである。
沢山やりたいことはあるが、どれもモノにならないような気がして焦るのである。
己の分をわきまえて、欲を出さずに、本当に自分に必要なものだけを選び取る。
大抵を諦めれば、もしかしたら一つくらいは形になるのではないか。
とはいえ、偏り過ぎるのも考えものである。
最低限の常識的な時事問題は押さえておきたいし、リベラルアーツは学んでおきたい。
加えて、必要なのは仕事の専門的知識である。
誰もが押さえておくべき知識と、専門性の高い知識収集に必要な時間だけは確保したい。それを除いて使えるのが、自分をさらに高めるための時間である。
趣味や、やりたいことには種類がある
自分を高めると言っても、必要性がない知識の収集でも構わない。趣味なのだから。むしろ、好きであることが重要であって、人気があるとか、カッコいいという理由で始めてもやる気にならないのである。
カッコ悪い、他人に言うと引かれそうなものでも、好きなもののほうが伸びる。むしろマニアックであるほど研究者が少ないので、そのことに関しては世界レベルで詳しくなれる可能性すらある。
俺は、他人に本心を悟られたくないあまりに興味のないものを趣味だと偽ってきたことがある。好きなものを貶されると傷つくので言いたくないのである。
なので、「音楽は何が好きなんですか?」なんて聞かれると、最近はヒップホップが好きかな、まだ全然詳しくないんだけどね、なんて答えるのである。なんとなくカッコいいと思われたいだけのために見栄をはるのである。しかもツッコまれたときのために、最近とか、詳しくない、などのワードで逃げているのである。
そもそも人間を信用していないのである。胸襟開いて語り合える間柄の人間など、漫画や小説、映画の中にしか存在しないと思っているのである。
どうせわかりあえっこないし、そのことでバカにされるくらいなら、バカのフリをしていたほうが気が楽なのである。
趣味というか、やりたいことにも二種類ある。
・好きで調べているうちに詳しくなるもの
・練習が必要なもの
好きで調べているうちに詳しくなるものを挙げると、レコード収集とか、観る将などである。ディグっていくうちに興味の対象がワイドからディープになり、レベルが上がると同好の士以外では意味不明な会話になるのだが、それが楽しいのである。口(くち)プロレスで骨のある奴に出会ったときの喜びは一入である。詳しいほど仲間内では尊敬される傾向にあり、沼に深入りする熱量の高さが最も重要視される。
練習が必要なものといえば、スポーツ、楽器、将棋、お稽古事などだろう。これらは年季や才能によって技術に優劣があるので、楽しいだけの趣味ではない。常にリソースを割いて練習しないと技術は向上しないし、休めばレベルダウンする。どこまでガチかが趣味かどうかの境目である。
たとえば将棋をどこまで本気でやるかを考える。仮に毎日将棋のことだけを考えている生活が許されたとしても、全く才能もなく、いままで積み上げてきた技術の蓄積もないのだから、どんなに頑張っても、せいぜい一般人のなかでは強い方だねってレベルまでにしか上達しないと思うのである。
絶対に超えられない壁があるのである。そう考えたらイヤになってくる。時間や労力を割くだけ無駄だから止めておくか、とすら思う。
頑張ったからといって、報われるわけではない。実力や結果がすべての世界でもある。
それでもやりたい。そう思えるのが、本心からやりたいことなのかもしれない。
独学は難しい
俺は変にプライドが高い。普段は遜って謙虚にしているが、それはハードルを下げて自分が傷つかないようにしているだけである。
だから、詳しい人と対等に話せないのがわかっているときは議論を避けている。対等に話せないのが恥だと思っているからだ。なので、その件については初学者を装うのである。
何も知らないので教えて下さい、というスタイルなので謙虚に感じるが、実はそうではない。うっかり詳しいなどと口走って知識不足が露呈したら、徹底的にツッコまれて激しく傷つくのがわかっているからである。ハートが傷つかないために知っていることでも知らないフリをするのである。
さまざまなことに精通している人のなかには尊敬できる人柄のひともいるが、人を傷つける物言いをする人も多い。情けない理由ではあるが、こちらは知らないフリをしているだけなのに、そんなことも知らないのかと嘲るのだ。思わず「そんなことぐらい知っているわい」と言いたくもなる。
以上の理由で、俺はほとんど人との会話で積極的に学ぶことはない。だから本やネットで学ぶのだが、なまの人間との深い対話がないので掘り下げられない。自問自答になる。
だから、こうして誰も読まないような文章を書いているのである。これは頭の中を整理するために必要な作業である。
学んだことをブログに書くにしても、文章力が高いに越したことはない。書くという能力は汎用性が高い。考えなければ書けないし、書かなければ形に残らない。そして書くという行為は時代や場所を超えて考えを伝え、人の感情を動かす。人は言語とともにある。
才能がないにしても書き続けていれば、なにか良いことがあるかもしれない。
ここまで2200文字 所要約2時間
一時間1100文字のペースだ。
時間の使い方としては、短期集中が望ましい。疲れて集中力が低下しないように無意識で加減しているから時間が余計にかかる気がする。ペース配分が上手いのは良いことだが、まだまだ雑念が入る。
プロの楽器奏者クラスになると一時間集中して練習したら昼寝したくなるぐらい消耗するのだ。ダラダラやるのは練習時間だけは多くて「やった気になる」が、あまり身にならないと思う。もう少し短時間で書けるようになりたい。