なぜ考えを文章にするのが辛くなったのか
なぜ自分の考えていることを文章にするのが辛くなったのか、その理由を考えていきたい。
原因となった経緯はこうである。
俺が小学3年生のころの話である。当時の俺は喘息もちで、ひと月に三日は学校を遅刻したり休んでいた。
喘息の発作は大抵深夜にひどくなるので、深夜に救急対応してくれる病院に通院していた。呼吸が楽になるまで点滴をしてもらい、タクシーで家に帰ると朝刊が届く時分だったのである。
ふらつきながら布団に入って微睡むのが朝の六時である。流石に睡眠不足だろうと親の判断で数時間寝てから学校に行っていたのである。
3時限目あたりに登校するのだか、正直な話、学校など行きたくはない。しかし、病気を言い訳にして甘えていると思われるのはシャクであった。
俺の中では頑張っているつもりであったが、担任の先生は「みんな、ちゃんと起きて登校しているんだ。お前だけ特別扱いするわけにはいかない」と厳しいのである。
割と昔の人には、遅刻すらならむしろ休んだほうがマシだという考えが浸透していて、それはルーズだと思われるくらいなら、まだ病弱だと思われるほうが良いという理由である。
休んだ日も怒られた。教頭先生がガンになって入院したときにお見舞い用にと千羽鶴をみんなで折ったことがあった。その作業は何日か授業を潰して行われたのだが、たまたま初日を除いて休んだのである。朝起きたら高熱だったからである。
みんなは折ったのに一人だけズルをして休んだ子がいると父兄から批判があったそうである。先生にはお前の勝手な行動で面目を失ったと怒られた。どうせ熱など嘘だろうと言わんばかりであった。
担任の先生は、大学を卒業してまだ数年くらいの若い男性で、ぴしっと七三に分けた髪と黒縁のメガネが爽やかで、わりとPTAのお母さま方には評判がよかった。160センチに満たない小柄な体躯であったが、体育の授業はとりわけ気合が入っており、冬でも半袖のポロシャツを着ていて、子供のころから風邪ひとつひいたことがないのが自慢であった。
健康優良児がそのまま大人になったような人だったから、体が弱い人の気持ちなど知る由もなかったのであろう。俺のことを受け入れがたい怠け者だと判断したのも、ある意味仕方がなかったのかもしれない。今思い返すに、俺はこの担任教師に目をつけられたのは必然だったのだ。
授業妨害
とはいえ、先生に徹底的にしごかれたのは俺自身に問題があったからである。もし俺が先生の立場だったら、手を焼く問題児に対してよい感情を抱かないし、自分の責任でなんとかしようと思うからである。
算数の時間のことである。先生が黒板に割り算の計算式を書き、「解き方が分かるものはいるか」と問うと、数人の児童が挙手した。誰もがクラスで勉強のできる子たちであった。
どうせ誰かが正解して終わるのだし、そんなことより早く授業終わらないかなと思っていた。今日の給食はカレーなので楽しみなのである。
アレルギー性鼻炎が酷く、持っていたポケットティッシュはだいぶ少なくなっていた。このぶんでは、まだ濡れていない部分で鼻をかまないと足りないな、などと思っていたら先生の怒号が飛んできた。
「お前、なんべん言ったらわかるんだ!鼻をかんだティッシュを机に置くな。みんなが気持ち悪いだろう!」
「いや、あの、これは、鼻をかみすぎてティッシュが足らなくて、これで節約しようと、その、」
とっさに言い訳をした。
「俺、言ったよな?鼻をかんだティッシュは見えないようにポケットにしまえと。クラスのみんなは優しいから言わないけどな、はっきり言うとな、鼻かんだティッシュは見るだけで不愉快なんだよ」
先生はもっていた白墨を叩きつける勢いで怒鳴りちらした。
先生の怒りは収まらない。本当に申し訳なくなり、なぜ言われた通りにできないのだろうと自分のことを責めた。そういえば、昨日にもまったく同じことで怒られたことを思い出したのだ。こんなに怒られても忘れるなんて、本当に俺はばかだと思った。
「ごめんなさい、忘れてました」
「忘れてた?お前は昨日もちゃんとゴミをポケットにしまいますって言ったよな?お前はうそつきだ!うそつき!うそつき!」
先生は吐き捨てるように怒鳴った。クラスは静まり返っている。みんなが俺を非難しているような視線を感じて、体がこわばり動けなくなった。
それからどうなったのか後のことは覚えていない。
その先生とはたくさんの約束をした。
3年生になってもかけ算九九を暗記していなかった。とくに7の段と9の段は苦手だった。来週までに完璧に覚えると約束した。
漢字テストで間違えた漢字を100回書いて提出する約束をした。
しかし、約束した課題を守ったことはほとんどなかった。
「どうせやってもできないので、どちらにしても説教されるなら、やるだけ損だと思いました」と言い訳するつもりだったからである。
勉強面でも生活面でも、およそ普通の児童のようにできなかったし、もともとやる気がなかったのである。
「みんながやっていることを、なぜお前ができないんだ!教えてやろうか。できないじゃなくて、やらないからだ!お前、先生のこと馬鹿にしてるんだろ?、ええっ」
涙で顔をぐしゃぐしゃに濡らして、違います、馬鹿にしていません、ぼくがバカなんです、ごめんなさいと謝った。
「いくら頑張ったところで、どうせできないので、僕にはなんの期待もしないでください」
じっさい、みんなができることができなかった。頑張ってやっても、「これは間違いだね」から、「ちゃんと真面目にやってるの?」となり、そのうちに「なんでできないんだ」に先生の口調が変わっていくのだ。どんどん普通扱いされなくなる過程が恐ろしかったのである。
だから、この子は頑張ってもできない子だから他の子と同じように扱うのをやめておこうとお味噌扱いしてくれたら、きっと楽になるだろうなと思っていたのである。
「いいか、お前が先生に怒られている間の時間は、みんなの時間なんだ。お前のせいで、みんなに使う時間が少なくなったんだ。みんなに謝れ。みんなの勉強の時間を無駄遣いしてすみませんと謝れ!」
俺は授業妨害をしていたのである。本当に申し訳ないと思った。みんなの邪魔をするつもりなどなく、ただ普通でいたかっただけなのが、なぜ分ってもらえないのだろう。
のろのろと立ち上がると俺はみんなに詫びた。そして、怒る時間がもったいないなら、放っておいてほしいと思って、そう伝えると先生は激怒した。
「いっちょ前に屁理屈を言いやがって、このクソガキが。理屈を言うな理屈を」
「約束は守らない、やる気はない、屁理屈ばかりいう。お前頭がおかしいんじゃないか!病院に行って診てもらえ」
「わかりました。病院に行って診てもらいます」
「そういうこと言ってんじゃねえんだよ!お前先生をおちょくってんのか!」
「おちょくってないです」
俺は普通に話しているつもりであったが、新学期が始まって数か月で、すでに担任教師は我慢の限界を超えそうになっていたのである。
作文事件
作文を綴る時間の出来事である。国語の授業の一環で、400字詰めの原稿用紙を配りテーマに沿った作文をするのである。
「きょうはみんなに作文を書いてもらう。テーマは『ゆめ』だ。みんなの夢を先生に教えて欲しい。あとな、念のために言っておくけど、寝るときにみるアレじゃないぞ」
先生がチラッとこちらを見た気がする。先手を打っておいたぞと言いたげに。
「それとな、題名は一番最後に書いてもいいぞ。先に本文を書かないと時間がなくなるからな」
「先生。ぼく、作文になにを書いたらいいか分からない」
誰かがぼやいたように言った。
「そんな難しく考えなくていい。将来になりたい職業とか、やりたいこととか、そういうのを精いっぱい綴ってくれればいいんだよ」
みんなが自分のなりたいものの話をはじめると、先生は手をパンパンと打ち鳴らし、はい、だまって書く!というと腕を組んで椅子に腰かけた。
和気あいあいとしたやりとりは静まり、鉛筆のカツカツと硬質な音だけが教室に響いた。
俺は思った。作文なら正解がないのだから、少なくとも不出来で怒られることはないだろう。作文用紙に意味のある文章が書いてあれば いい。そう解釈したのである。
ゆめを書けというが、本気でゆめが思いつかなかった。将来にどうなりたいとかより、今のこの瞬間のことで頭の中が精いっぱいだったからである。
「子供が学校に行かなくても済む法律ができました」
こんなことを書いたら怒られるような気がしたので書くのを断念した。要は、まったくの嘘であろうとなんだろうと、それらしいことが作文に綴られていればそれでいいのである。
なら、徹底的にどうでもいいことを書くことにした。なるべく自分の本当に思っていることから離れているほうがいい。
ぼくのゆめは、おとなになったらお母さんを月へ旅行につれて行ってあげることです。
ぼくが大人になったころには、じんるいは月に行けるようになっていると思います。いっしょうけんめいに、いのちをけずって働くと宇宙鉄道のパスが買えるのです。月の生活が気に入ったらかぞくでひっこします。ちきゅうにはイヤな思いでが多いからです。でも、しぬころにはちきゅうにかえりたくなるとおもうので、ねんのためにパスはすてずにもっておきます。
月に旅行
こういう内容で作文を提出したのである。銀河鉄道999が大好きだったので、宇宙とか未開のフロンティアに憧れがあったのである。ゆめには違いないので、怒られることはないだろうと高を括っていた。
次の週、教室に入るなり藪から棒に先生が怒鳴ってきた。
「なんだ、この作文は!ふざけてんのか?」
俺が先週書いた作文を手にしていた。
「先生はたしかに、ゆめを書けといったが、誰がこんな夢物語を書けと言った?ああっ」
「いいか、夢というのはな、将来、大工さんになりたいとか、野球選手になりたいとか、ケーキ屋さんをやりたいとか、そういうことだっ。お前以外はみんなちゃんと書いているんだよ!なにが月に旅行だっ?引っ越したいだ?寝言か?お前、本気で俺のことナメてんのか?」
「それになっ。なんで題名が一番最後なんだよ。題名は作文用紙の一行目だろ!」
「それは、先生が題名は最後に書いてもいいと言っていたから、最後に書きました」
「そういう意味じゃねえんだよ。本文を書いてからタイトルを書いてもいいと言ったんだよ。揚げ足とってんのか?お前、ホンモンのバカか?ええっ」
先生は俺の作文を広げると、俺の口調を真似しながら読みあげ始めた。
そして、俺に一日中教室で立ってろと命令した。屈辱だった。
隣の席の女子が薄笑いしていた。授業中に立っていると後ろから消しゴムが飛んできて頭に当たった。休み時間には、誰かが俺の口調を真似した先生の真似をして笑っていた。トイレで大をしようとすると、何者かが下の隙間からホウキで突いてきた。
あいつはバカだから、先生公認でなにしてもいい、みたいな空気があったのである。
給食は罰として理科準備室で一人で食べさせられた。ホルマリン漬けのカエルの解剖など不気味なものが置いてあり、決して愉快な気持ちになるような部屋ではなかったからである。
そんなに非難されるほどひどい内容を書いたとは思えなかったが、きっとそれは俺がバカだから理解できないのだろうと思った。普通の人は書かないような内容だったのだろう。なんで普通になれないんだろう。
作文を書くのが怖くなった。そのつもりがなくても人を嫌な気持ちにさせてしまうし、なんといっても自分が深く傷つくのは懲り懲りだったからである。
普通がわからないのに、どうやって普通にしたらいいのだろう。とくに文章を書くと、意図せず人を不愉快にさせてしまう。その理由もわからない。それがわからないうちは思ったことを書いてはならないのだ。
ルールが全く分からないゲームを強制的にさせられて、突然ダウトだのアウトだのと宣言されているようなものである。ゲームから降りたいのに降りることも許されないのである。苦労の挙句にルールをつかんだと思っても、自分が思っている法則とは違うのである。それが特例なのか、ルールを勘違いしているのかもわからないのである。
ルールを知るには、他人を良く観察して真似をし、自己主張しないことだと気がついたのは、もう少し成長したころである。
みんなと同じようになりたい。普通になるのが俺の本当の夢だったのである。
先生も親も、口をそろえて「まともになれ、普通になれ」というからである。
学校であったことを親に話すと、「お前が悪い」と怒られるような気がしたから話したくなかった。
先生から何度も親は呼び出しを受けていた。しかし、母親は気が強かったから、謝るどころか先生の問題点を次々と指摘していたのである。むしろ指導力に問題があるから児童一人の教育もままならないのであって、自分の問題を父兄に転嫁するなと言い放った。さらに教育委員会の知り合いに無能な教師がいると話を通すとまで脅していたのである。他人様に迷惑をかけまくっていた出来の悪い息子を棚に上げて、よくもまあそこまで言いきれたものだと、大人になってみて感心したものである。担任の先生が俺の親をクレーマー扱いして毛嫌いしていたのも納得である。
このような事件を経験し、俺は考えを文章にするのが怖くなったのである。
ここまで5400文字 なかなかの長文である。
下書きを含めると3時間くらいか。やや推敲したので1時間1800文字ペースは悪くない。
推敲しなくてもスラスラと読みやすい文章が書けるのは、圧倒的に書いている人である。まだまだ始めたばかりなのだから高望みしても仕方がない。
なるべく読みやすくなるように工夫しながら早く量を仕上げるようにする。
さらには面白くなるように工夫する。他人様が読む前提で書いているからだ。それがたとえ自分の日記のようなものであっても。
日記は感情より、あった出来事だけを書く方が良いらしい。
この記事は、書きながら自分を見つめ直し、頭を整理しながら、かつ文章力を高めるためのものである。そうであっても、やはり読者の存在を無視して書いてはならないのである。文章は読むためにあるからである。