文章練習

思いつくままキーボードでカタカタ

考えをまとめる時間を確保するにはどうしたらいいのか

時間の使い方 時間の流れが早く感じるようになった。時間について、最近思っていることを軽く書き綴ってみたい。 時間は属性によって使い分けるのが肝要である。時間を使い分ける観点から大雑把に分類すると以下の三つになるだろう。 ・待ち時間 ・自由時間 …

なぜ文章を書く練習をするのか

なぜ文章を書く練習をするのか それは、事実をただ伝えるだけでは不十分だからである。 以下、事実以外を伝える目的の文章をダダッと書いてみる。 憂鬱な午後の昼下がりだ。日曜日だというのに空は鉛色で、雨は降らない予報だけど北風がぴゅーぴゅ―吹いてい…

好きなものについて書いてみた

勇気を出して、いよいよ好きなものについて語ってみるとしよう。 俺は読書が好きだと以前書いた。今回は本の話である。といっても、普通の本ではない。ゲームブックである。本を読むというより、ゲームを本ですると表現したら良いのだろうか。あくまでも主体…

書こうと思うほど書けないことがある

さて、本日も記事を書こう。昨日は休んでしまった。ときどき事情があって記事を書けないときがある。 三日坊主の原因の一つには、一度でも休むことによる諦めがあると思う。なので、休もうが自分のペースでコツコツと続けていきたい。 しつこいようだが、も…

抑うつ状態からの脱却について話をしよう

抑うつ状態からの脱却について話をしよう あのころは、気分が落ち込み何をするのも億劫だった。 好きなものに一切の興味が持てず、休みの日はカーテンを開けず一日中寝ていた。世間から見捨てられないように仕事にしがみつくのがやっとだった。自分なんてど…

理不尽にたいする合理的な行動

真夏の殺意 アスファルトが溶ける暑い日のことだった。俺は2人の同級生と下校していた。汗で肌はベトベト、喉はカラカラで最悪の気分だった。 「暑いな」 「日陰すくねえな」 愚痴を言っても喉が渇くだけだ。しばらく黙ったまま、陽炎が立ち昇る道を歩き続け…

インテリっぽく見られたくない理由

インテリっぽく見られたくない理由 知り合いなどから、「雑学に詳しいですね」とか、「よく知ってますね」などと評価されることが度々ある。 俺はインテリではない。ただ単に、俺が興味ある分野について周囲の人たちが知らないだけであって、俺自身は無学な…

誹謗中傷されるのが嫌なら発信するのをやめればいいというのは思考停止である

誹謗中傷されるのが嫌なら発信するのをやめればいいと言うのは思考停止である。 それは生きているのが辛いと言っている人に、「なら死ねば?」と言うようなものだ。 前向きな批判ですら、傷付かずに受け止めるのに努力を要する。ましてや、根も葉もない、貶…

定跡を無視した将棋は通用するか

さて、今日は久しぶりに将棋の話である。 最近思うことがある。 定跡を無視した将棋は通用するのかという疑問である。 本やネットで研究せず、すべてが独学独自の戦法、つまり序盤からの力将棋である。 剣術でいうところの我流である。さらに時代物っぽく言…

自分だけが損をしていると思う感情

昨日の続きである。 なぜ、平等じゃないのだろう。なにも悪いことをしていないのに、なぜ普通じゃないんだろう。この答えが知りたくて仕方がなかった。未だにその答えは見つからない。 運命の神様はイイ仕事をする 昔から運がない人生だった。 つくづく俺は…

鬱屈していた日々

おことわり まず、この文章を書くにあたり、ことわっておきたいことがある。 これから書く文章は愚痴でもないし、共感して欲しいわけでもない。ましてや、可哀そうな俺を知ってくれというわけでもない。 鬱屈していた日々を思い出して、その時の感情に真摯に…

復讐について考えてみた

復讐について考えてみた 復讐を題材にした物語は多い。この間読んだ漫画も復讐劇だったのだが、読んでいて思ったことがあったので書いてみたい。 復讐というのは、仕返しのことである。理不尽にもいじめっ子に酷い目にあわされた経験がある人なら、誰でも一…

生き辛さをかかえているのは普通である

さて。毎日恒例の、とりとめのない文章を垂れ流そうと思う。 小学生の頃の話を少ししたいと思う。 以前にも書いたが、小学三年生のころは担任教師との関係が最悪であった。もちろん先生にも至らないところはあったのだが、多くは俺に原因があった。たとえば…

やりたいことを独学で伸ばすにはどうしたらいいか

あれもやりたい。これもやりたい。 やりたいことだらけで意欲は素晴らしいが、やる時間がない。 光陰矢の如し。年齢を経るにつれ、残された時間は少ないと実感するのである。 沢山やりたいことはあるが、どれもモノにならないような気がして焦るのである。 …

どうにもならない不確実なことを単純化するのはバカである

注意書き この記事は、俺のEvernoteにあったメモを加筆修正したものである。文体から俺が書いたものだと思うが、もし他人の書いたものだったら、お詫びして記事を消去する。 苦労して書いたはずなのに忘れている。本文とと矛盾しているのである。ダメだな、…

悪と正義

普段から考えていることを書いてみたい。 悪い 正しい よく、あいつは悪い奴だとか、あの人は正しいとか言う人がいる。じゃあ、どこが悪いのか、なにが正しいのかと問い詰めると、要領を得ないのである。 なんとなく正しい。なんとなく悪い。なんとなくでは…

初段までの道は険しい

将棋の練習について、ある程度の考えが固まりつつある。 記事を書くのも楽しいが、少しずつでも将棋をやらないと上手くならないので、その辺りのバランスも踏まえて活動する次第である。今日は、ざっと練習のねらいについて書こうと思う。 以下の文章は、常…

なぜ考えを文章にするのが辛くなったのか

なぜ自分の考えていることを文章にするのが辛くなったのか、その理由を考えていきたい。 原因となった経緯はこうである。 俺が小学3年生のころの話である。当時の俺は喘息もちで、ひと月に三日は学校を遅刻したり休んでいた。 喘息の発作は大抵深夜にひどく…

学びと才能について考えてみる

なぜ、中高年になってから学びはじめると自分には時間がないと焦るのか 「僕には時間がない」「俺に残された時間は少ないんだ」 学習や、趣味、やりたいことに一生懸命な人がよく言うセリフである。かくゆう俺も、常にそう思っている一人である。いまも文章…

大局観

将棋の大局観については羽生先生も本を出されているし、論じ尽くされているので、今更書くのもどうかと思うのだが、敢えて書いてみる。 まず始めに書いておくが、素人の思いつきを述べているだけなので間違いだらけだと思うし、全く参考にはならないので、な…

定跡と美しい手

定跡について論じたいと思う。 将棋には定跡がある。初手から何手か進むと戦型が決まってくる。 居飛車か振り飛車か、角交換するかしたいか、急戦か持久戦なのか、お互いの手を読み取って、どう指すか方針を決定するのである。そうなると定跡の出番である。…

普通の人間

文章を、とくにブログを執筆をしようとすると気が重くなる。書き始めるといくぶん気が楽になり、しばらくすると快感になるのはわかっている。しかし、面倒だな、今日はいいや、と後回しにしようと言い訳を考えるのである。 心が折れるというか、持っていかれ…

将棋の練習について

将棋の練習時間 社会人にとって趣味の時間を捻出するのは大きな課題の一つである。 タモリ曰く、「仕事じゃないんだから、趣味は真面目にやれ」。 とにかく、趣味はトコトン打ち込めということであろう。仕事が忙しいから趣味の時間を削るというのはよろしく…

将棋の練習について

再び将棋を指すようになったきっかけは、とくにない。 強いて言えば、社会的に将棋がブームになってきたから、至る所で目にする機会が増えたことであろう。 兎にも角にも、将棋に強い関心を抱くようになったのは4か月ほど前である。 将棋に関しては浦島太郎…

直観と直感

直観と直感。似た非なるものである。にもかかわらず、使い分けをしていないような気がする。先日書いた記事にも直観と書いたが、後で気になって調べてみたところ興味深い記事を発見したので参考までに載せておく。 https://no-mark.jp/liveescape/brainpower…

俺の将棋の原点

今回は、最近ハマっている将棋について語りたいと思う。 俺はまったくのド初心者ではなく、リターンである。 実は一つ違いの弟がいるのだが、将棋は同じくらいの時期に始めた。 駒の動かし方など、ルールは小学生低学年のときに覚えたと思うのだが定かではな…

文章練習

書きたいことは山ほどあるのだが、書けない。いよいよ書き終わり、さあ公開するボタンを押下するかとなると躊躇してしまう。色々と考えすぎてしまい、やはりやめておこう、となるのである。なぜこれほどまでに、自身の考えを綴るのを恐れているのか、自問自…

文章練習

文章練習 まずは文章を綴る練習である。試みようとするのは推敲をほぼしないことである。 いかに少ない時間で、それなりの文章を書きあげるか。その能力を鍛えたいのである。 まあまず、こんなクソみたいなブログは誰も見に来ないであろうから、それほどの迷…

こだわりが強い人は、なぜ思ったように人に動いてもらえないのか

こだわりが強い人は、なぜ思ったように人に動いてもらえないのか それは、当たり前だが人それぞれ違うからだ。同じものを見ても、どう感じるかは人次第で変わってくる。 そもそも、人が自分の指示した通りに動いてくれるということ自体が幻想だ。 お互いが人…

努力の信者

自身の成功を、全て努力によってのみ得たと勘違いしている。 よく天才と言われるが、そうではなく努力をした自分を認めろというわけだ。 私はそのような人を「努力の信者」と呼んでいる。 東大を主席で卒業。学生時代に司法試験に合格し官僚となるが、現在は…